声明 安倍「働き方改革」は究極の労働法制の解体・破壊

作業


2017年12月27日

 <緊急声明>

 

全国一般労働組合全国協議会 

中央執行委員長 平賀 雄次郎

 

 

 年明けの通常国会には、いよいよ「働き方改革一括法案」が国会に上程される情勢である。この法案は究極の労働法制破壊であり、労働者・労働組合に対する権利剥奪の大攻撃である。全国一般全国協議会では、現状を批判してこの攻撃をはね返すために、以下のように見解を明らかにし、各組合・組合員が職場で討議して反撃を開始することを訴える。

 


安倍「働き方改革」は究極の労働法制の解体・破壊

 

 安倍の疑惑隠しのための解散・総選挙で、結局安倍自公政権が圧倒的多数の議席を得るところとなった。雪崩をうって翼賛体制に進むということにはなっていないようだが、労働組合にとっては厳しい状況になっている。

 

 安倍政権の意図は全く変わっていないので、選挙中以降は忘れられていたかのように思われる「働き方改革」が、再び問題として浮上することは間違いない。ここで改めて「働き方改革」が「働かせ方改悪」であり、究極の労働法制(労働者保護立法)の解体であることを指摘し、労働組合にとってはその存立をも脅かされかねない重要な課題であることを述べて、取組みの強化を訴えたい。

 

(1)新自由主義の攻撃の帰結としての労働法制破壊

 

 最近の東京新聞コラムで、法政大学の竹田教授は、非正規・低賃金が蔓延する労働者の状態について、これは日本に限らず世界的な傾向だとして、次のように指摘している。「非正規が雇用の4割を超えた日本、ギグ(単発請負)経済のアメリカ、ゼロアワー契約(一種の日雇い派遣)のイギリス、低賃金ミニジョブが定着するドイツなど、労働市場の市場化・契約化が労働側の力を削いで、株主に儲けさせる英米型資本主義が席巻している」と。私たちの生活を奪い、苦痛を強いる根本の敵はここにある。

 
(2)「働き方改革一括法案」
 
 去る9月8日に厚生労働省労働政策審議会に対して「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案要綱」を提出した。この間私たちも議論してきた、長時間労働規制問題、高度プロフェッショナル制度の創設、裁量労働制の大幅拡大、「同一労働同一賃金」問題などを一緒くたにしたものだが、労働政策審議会は、それぞれの分科会などでわずか数回の議論を、それも2週間程度の短期間で行ない、内容の審議を尽くさないまま「おおむね妥当」との答申を行うこととした。要綱には労働基準法の「改正」はじめ、8つの法律を変えることが一括して盛り込まれており、そもそも細かな議論をすることができないようにつくってある。
 

 特に、残業時間の上限規制という「規制強化」の制度と、逆に定額・働かせ放題の高度プロフェッショナル制度という究極の「規制緩和」が一体で盛り込まれていることが問題だ。これには、人気商品に不要なものをセットして、実際には不要なものを押しつけて販売する「抱き合わせ商法」だとの批判がある。つまり、優良商品(=罰則付き残業規制)に不良商品(=高度プロフェッショナル制度裁量労働制の拡大)を組み合わせて、売れそうにない(社会的に受け入れられそうにない)高度プロフェッショナル制度などを売り込むための不当な手段だというわけだ。

 

 とても分かりやすい比喩ではあるが、その批判は必ずしも妥当ではない。そのように言う人たちは、今回の「労基法改正」によって残業時間上限規制が罰則付きで決められるから、それは労基法にとって画期的な「良い改正」で、それが高度プロフェッショナル制度という不良品と「抱き合わせ」にされることがいけないと批判する。だが、私たちは、その罰則つき上限規制の「月45時間」に、「月100時間未満」とか「数ケ月平均で80時間」という例外を堂々と認める法案では、そもそも過労死基準を労働基準法が認めることになり、何ら規制にはなっていないと主張している。この主張の違いは大きく、今後も私たちが強く訴えるべき論点である。したがって、もちろん高度プロフェッショナル制度裁量労働制の大幅拡大に反対し、この残業規制(実質は過労死容認)も認めないという立場を、主張し続けなくてはならない。

 

 そもそも現行法でも36協定に違反すれば、経営者は労働基準監督署によって厳しく指弾されることになっており、罰則がつくからと言ってさしたる変化はないのだとの指摘もあり、この「罰則付き上限規制」をいたずらに高く評価する必要はないとも言えるのだ。

 

 なお、法案には、先に連合会長が安倍首相と会っていったんは高度プロフェッショナル制度を認めた時の条件が、いつのまにやら組み込まれている。それが「104日の休日の義務づけ」などだが、考えてみれば、その上でその他の日は24時間働かせられるなどということになるわけで、それが健康的な働き方につながるわけがない。今のところ連合もこの高度プロフェッショナル制度には反対と言い、実際その立場を主張する組合もあるようだが、労働政策審議会における最後の議論では、強く反対の主張をし続けることはしていなかったようである。すでに連合が妥協点を探っているなどということではないことを願う。

 

(3)労働生産性向上をめざす労働法制か?

 

 労働時間問題は以上のように、これまでも議論してきたが、今回の法案要綱には、これまで全く議論されていない新たな改悪も含まれている。

 

 それは、「雇用対策法の一部改正」と称して出されている。その法律の名称を「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」とすることから始まっている。中味には「労働生産性の向上等を促進して」「経済及び杜会の発展・・・に資する」ことを目的とすると明示されている。要するに雇用対策ではなく、労働生産性を上げて雇用を進めるという、資本の論理を法定しようというものだ。資本を制限するべき労働法制が、逆に資本の論理に従属するものとして大転換させられることになる。こっそりと出されたこの「雇用対策法改正」も、断じて認めるわけには行かないのである。

 

(4)「同一労働同一賃金」は格差の是認に帰結した

 

 「同一労働同一賃金」と、この1年余りの間「大騒ぎ」して、世の中に「賃金が上がるかもしれない」との期待を抱かせてきた安倍政権だが、結局それは大嘘だった。そもそも、冗談のような話だが、今回の法案要項の内容には「同一労働同一賃金」という言葉は全く出てこない。結論的には、従来のパート法に有期雇用労働者に対する規制も含めて、パート・有期法をつくるというのが法案の中味である。パート法は、正社員と全く同じ労働をしている人たちしか救われないと言われ、実際にほとんど役には立ってこなかったと指摘されている。そこで有期雇用労働者を一緒に扱うとしても、何の前進もないのは明らかであろう。

 

 しかも一方で、労働契約法20条「期間の定めがあることによる不合理な差別の禁止」が削除される。つまり、期間の定めのあることによる差別禁止との明文が廃止されるわけである。9月14日に、郵政ユニオンの労働者が訴えた裁判の判決で、年末年始の手当や住居手当の7割程度の支給が認められるという画期的な判断が示されたが(この程度を「画期的」と言わねばならないほどに、非正規差別は根深いのだ!)、その根拠となった労働契約法20条がなくなることは、闘いの根拠を奪うことでもある。少なくとも労働契約法20条は、手当などの差別は不合理だとする根拠になっていたのであるから。

 

 労働契約法20条削除について、中央大学名誉教授の近藤昭雄氏は「『当該事業所における慣行その他の事情から見て、当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が当該通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されると見込まれる』短時間・有期雇用労働者などというものは、ほとんど、存在しない。これの元規定である旧パート労働法3条は、2008(平成20)年4月1日施行であるが、それからおよそ10年近くが経過しても、パート労働者の処遇が殆ど変化していないことは、その証左である」と述べ、「労契法20条に替えてこのような規定を法定化することは、絶対的に、阻止せねばならない。と同時に、それが正規・非正規差別の固定化を図ろうとするものであってみれば、その差別の構造に切り込んだ運動がなされねばならないことが、ここには提起されている」と厳しく指摘している。

 

 昨年(2016年)12月に政府の「働き方改革実現会議」が出した「同一労働同一賃金ガイドライン案」においては、賃金格差が問題とならない例のひとつとして、次のように示している。

 

 B社においては、定期的に職務内容や勤務地変更がある無期雇用フルタイム労働者の総合職であるXは、管理職となるためのキャリアコースの一環として、新卒採用後の数年間、店舗等において、職務内容と配置に変更のないパートタイム労働者であるYのアドバイスを受けながらYと同様の定型的な仕事に従事している。B社はXに対し、キャリアコースの一環として従事させている定型的な業務における職業経験・能力に応じることな<、Yに比べ高額の基本給を支給している。

 

 要するに、最初からキャリアコースが違っていれば、差別が許されるというもので、「同一労働同一賃金」とは対局にある「格差の固定化」が、法認されることになるのである。

 

 また、労働政策審議会の部会のまとめで、公益委員が「非正規の賃上げで格差を是正するだけでなく、すでに高くなっている正社員の賃金との適正な配分を考えるべきだ」との趣旨を述べ、要するに正社員の賃下げに言及することがあった。これこそが政府・財界の本音であろう。同―労働同一賃金の本当の狙いは、正社員の非正規なみ処遇実現にあるのだ。つまり、非正規の賃上げの根拠にはならず、正社員の賃金を引き下げることが、「同一労働同一賃金」を言う安倍「働き方改革」の本音なのである。

 

(5)労働政策審議会の形骸化をも狙う!

 

 その他、労働政策審議会に「基本部会」なるものができ、すでに労働者側の代表が3人に対して使用者側が7人で会合が始められている。そこには、政府の規制改革会議の意を受けた委員が多くいて、労働政策審議会の議論は不要にして、すべてその基本部会で指針を示すのだという乱暴な意見が述べられている。政労使三者合意というILO原則を吹っ飛ばそうという狙いが見え見えである。

 

 こうした中で、連合が唯一の労働者代表としてこうした審議会やその他の会合の場に出るのだが(労働委員会の労働者側委員の選任や、裁判所の労働審判員の選任でも、連合が労働者の代表になってしまっている)、彼らが本当に労働者の声を反映していないことを厳しく指摘すべきである。

 

(6)労働における規制緩和を許さない!

 

 冒頭に述べた竹田教授の指摘は、要するにアングロサクソン型資本主義が、「弱者」としての労働者の権利を保障するための労働(保護)立法を破壊しているということであった。今進められようとしている安倍「働き方改革」こそは、日本におけるその実現の方策である。今の社会情勢の最大の特徴が労働者にとって最大の課題となっている。

 

 別途、遠藤一郎特別執行委員の見解でも指摘されているが、経済産業省が「『雇用関係によらない働き方』に関する研究会」を重ね、厚生労働省も「雇用類似の働き方に関する検討会」を立ち上げている。フリーランスとかアライアンスなどと、横文宇を並べて新しがっているが、要するに個人が請負や委託で働くことを推奨しているのである。サラリーマンに「副業」や「兼業」を広げるというのも、在宅勤務、テレワークを広げるというのもすべて同じで、すべて「個人事業主」にして、労働法制による「労働者保護」を外すことが重大な狙いである。つまり、「保護」を受ける「労働者」がいなくなれば、どんなに厳格な労働法制であろうと、文字どおり絵に描いた餅になってしまうのだ。やがては労働組合法も解体して、労働運動を破壊することにもつながりかねない。

 

 最近東京都営地下鉄の車内広告で都バスの営業所の食堂の賄いの「管理者」を募集しているのを見た。そこには契約内容として「個人事業主としての契約」と明記されていた。東京都が関わる事業の募集広告で、明らかに労働者募集なのに「個人事業」主として労働法制の適用を免れようとするやり方に唖然としたが、「労働者」を消し去ろうとする意図は、極めて広範かつ急速に拡大しているということだろう。

 

 この間の政府与党の基礎控除を増やす「減税」論議も、フリーランスなどに恩恵があるものだと宣伝されているが、そうしたことを積み上げて「労働者」を滅らし、究極的には企業・資本と「対等な個人事業主」にすることで、実は「労働者」を無くしてしまおうという重大な攻撃であることを深刻に受け止め、とりあえず安倍「働き方改革」にNO!を突きつけよう。