1/29 NNNドキュメント「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして…」

テレビ番組の紹介から
 


NNNドキュメント「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして…」

2012年1月29日(日)  24時50分~25時45分  の放送内容
 
 

表題

3・11大震災 シリーズ27
  放射線を浴びたX年後
 ビキニ水爆実験、そして・・・

見どころ

1954年。18ヶ所の漁港に鳴り響くガイガーカウンターの音。水揚げされる被ばくマグロ。南太平洋から戻るマグロ漁船の船体や乗組員の衣服、頭髪、そして魚からも、強い放射能が検知された。アメリカが太平洋で行った水爆実験は、広大な範囲で大気と海水と魚などを汚染。「死の灰」は、日本やアメリカ本土にまで届いていた。しかし事件から7ヶ月後。被ばくマグロが続々と水揚げされる中、日本政府は突如、放射能検査を打ち切った。数日後、両国政府が文書を交わし、事件に幕を引いたのだ。人々の記憶から消え、歴史から消し去られた被ばく事件。なぜ、これまで明るみに出なかったのか。そこには、両政府の思惑と人々の切実な思いがあった。8年にわたる取材から事件の全容を浮かび上がらせる。

内容

爆発する福島第一原発
子供たちは、放射能を吸わないようにとマスクで登校します。幼い子どもが、線量計で体の放射能を測定され、別の男の子は、ホールボディカウンターに乗せられ、不安げな表情を見せています。
想像もしなかった光景…。

23年前。
高知県で収録されたフィルム映像に、生々しい証言が映し出されています。
当時の生存者は語ります。「ピカッときのこ雲が出て、水平線から水平線までいった…」
広島・長崎 ではなく、南太平洋…。

1954年、延べ1,000隻を超える船が、南の海を目指しました。しかし、漁船を待っていたのは、アメリカの水爆実験で強く汚染した「死の海」でした。大気も海水も魚も、汚染していたのです。

漁を終え、漁港に着いた漁船を待っていたのは、放射能検査でした。船体や衣服、毛髪などから、放射能を検知。もちろん、多くのマグロも被ばく。反応のあったマグロは廃棄されました。

しかし、水爆実験からわずか7ヵ月後、汚染マグロが水揚げされているにも関わらず日本政府は、放射能検査を打ち切りました。そして、その数日後、アメリカ政府と文書を交わし、事件に幕を引いたのです。こうして、事件は静かに封印されました。

今から25年前、この事件に光を当てたのは、政府でも科学者でも、漁協でもなく、高校生と教師でした。高校生たちは、郷土学習の中で、地元のマグロ漁船の乗組員たちの異変に気づき、漁港を調査。その結果、多くのマグロ漁船が被ばくしていることを突き止めたのです。その中心となったのが、高校教師(当時)の山下正寿さんでした。山下さんたちは、被災者を一人ひとり訪ねて聞き取り、事件の全容を浮かび上がらせていきました。
しかし、被ばくの事実を裏付けることはできないままでした。
南海放送では、8年前にこの事件を知り、調査報道を開始。多くの被災者や遺族の証言を収録。また、日本国政府の公文書、日本政府の調査船の公的な調査記録などを入手しました。一昨年には、アメリ原子力委員会の極秘文書を入手。水爆実験当事者の文書から、被ばくの事実を裏付けることができることになったのです。さらには、水爆実験が、世界を巻き込んだ巨大被ばく事件であることも分かってきたのです。

番組では、証言や公的文書、極秘文書などから、事件の全容を浮かび上がらせ、被害の実態を伝えます。さらには、科学者の協力を得、データをもとに、当時の被ばくの状況を分析します。

連日のように新聞が書きたて、日本中が大騒ぎをしたビキニ水爆実験による被ばく事件。しかし、事件は人々の記憶から消え去りました。いつしか、第五福竜丸が被ばくした「第五福竜丸事件」と呼ばれるようになり、多くのマグロ漁船の被ばくや、日本全土の被ばくは、歴史から消え去ったのです。
なぜ、事件の記憶は消え去ったのでしょうか。
そこには、両国政府の思惑だけではなく、人々の切実な思いがありました。


2011年3月11日、日本は再び大きな不安に襲われました。
私たちは、57年前の事件をしっかりと知り、同じことが起こらないようにしなければなりません。


 
(F)