2011/10/21/ 10・21国際反戦デー 兵庫県集会 続き

専守防衛から動的防衛へ ~新防衛大綱を斬る~
 
集会当日のレジュメをリタイプ
(元はA4版、4頁。段落、記号など原文とズレています。)
 

1.2010年12月「新防衛計画の大綱」

 
* 「基盤的防衛力構想」の否定、「動的防衛力」の構築
  「存在する自衛隊」から「機能する自衛隊」へ
* 「基盤的防衛力構想」 1976年防衛計画の大綱
  憲法9条と自衛隊との「矛盾」の「共存」
  →90年代以降の「日米同盟」の展開と自衛隊の転換
  →「非和解的矛盾」の全面的顕在化とこれまでの9条解釈の否定による「解決」の最終局面
* 自民党政府の9条解釈
 ・国家固有の自衛権
   →自衛権発動のための「自衛力」の保有(「戦力」の保有違憲
   →自衛力をの組織化したものが自衛隊
 ・「自衛力」(自衛のための必要最小限度の実力)と「戦力」(自衛のための最小限度の実力)
     保有兵器の限定「性能上専ら他国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる兵器」
 ・政府憲法解釈からの憲法上の制約
  専守防衛論 海外派兵の禁止、集団的自衛権行使の禁止、保有兵器の限定、徴兵制の禁止(憲法18条)
 ・平和運動との対応
  非核3原則、武器輸出禁止3原則、軍事費のGNP比1%枠、宇宙の平和利用
 
* 1958年、「防衛力整備計画」、「一次防(1958-60年度)、4721億円」「二次防(62-66年度)、1兆3843億円」「三次防(67-71年度)、2兆5272億円」「四次防(72-76年度)、5兆6684億円」
 ・1973年オイルショック、長沼ミサイル基地訴訟自衛隊違憲判決
*三木内閣(自民党護憲派」内閣)、1976年、武器輸出新三原則、軍事費のGNP1%枠
 ・「76年防衛計画の大綱」・基盤的防衛力論
  冷戦構造を前提とする「力の空白論」に依拠、存在することによる抑止効果を最も重視
 
 

2.米ソ冷戦構造の終焉と自衛隊の海外派遣軍事法制の展開

 
A. 1990年代(「二つの戦後」(米ソ冷戦の崩壊、湾岸戦争におけるアメリカとその同盟軍の圧勝))以降の軍事法制の推移
 
○第1期 90年代前半
 
 「国連協力」「国際貢献」「人道的協力」を掲げての自衛隊の海外「派遣」の法律制定
 
 ・湾岸危機から湾岸戦争
  ・国連平和協力法 廃案1990
  ・特例政令(制定)による自衛隊機ヨルダンへの派遣 実現せず
 ・湾岸戦争後の掃海艇のペルシャ湾への派遣(1991.4)
   (自衛隊史上初の海外での実践的軍事活動)
 ・PKO等協力法、国際緊急援助隊法改正 1992
 ・自衛隊法改正 1994
 
○第2期 90年代後半
 
 「日米同盟」を前面に据えての自衛隊の海外「派遣」法
  1996年「日米安保共同宣言」、1997年 新ガイドライン締結
 
  ・PKO法改正 1998(武器使用 上官命令)
  ・周辺事態法 1999
  ・船舶検査活動法 2000
 
○第3期 2000年代
 
 「世界規模での日米同盟」への態勢作りと実践
 
  ・2001.10 テロ対策特別措置法
  ・2001.12 PKO等協力法改正(PKF凍結解除、武器使用要件の緩和)
  ・2003.6 「有事関連三法」
  ・2003.7 イラク復興特別措置法
  ・2004.6 「有事関連七法」
  ・2005.7 自衛隊法改正(統合幕僚長新設) 2006.3 統合幕僚監部発足
  ・2006.12 防衛省昇格法(2007.1.9防衛省発足)
  ・2008.1 新テロ対策特別措置法
  ・2009.6 海賊新法
 
B. 「日米同盟」の性格の変容
 
① 1952年安保 対米基地提供条約
② 1960年安保 対米基地提供条約から日米軍事同盟へ
③ 1978年11月 日米防衛協力の指針(ガイドライン
   1981年5月 鈴木・レーガン、日米共同声明
           初めて、日米関係を「同盟 Alliance」と規定
④ 1996年4月 「日米安保共同宣言-21世紀に向けての同盟」(橋本・クリントン
           建前としての「日本防衛」から「周辺事態」へ
   1997年9月 新ガイドライン
⑤ 2005年~06年 地球規模での日米同盟
・2005年10月 日米安全保障協議委員会 在日米軍再編に関する中間報告
          「日米同盟 未来のための変革と再編」
・2006年5月 日米安全保障協議委員会 「再編実施のためのロードマップ」合意
・2006年6月 日米首脳会談(小泉・ブッシュ)
         日米共同文書「新世紀の日米同盟」 
          「地球規模での日米同盟」 
 
C. 「防衛計画の大綱」における「防衛力の役割」
 
・1976年 「我が国の防衛」
・1995年 「我が国の防衛」
      「大規模災害等各種事態への対応」 周辺事態
      「より安定した安全保障環境の構築への貢献」
・2004年 「新たな脅威や多様な事態への実効的な対応」
      「本格的な侵略事態への備え」
      「国際的な安全保障環境の改善のための主体的・積極的な取り組み」
       … 新たな安全保障環境の下、『基盤的防衛力構想』の有効な部分は継承しつつ、新たな脅威や多様な事態に実効的に対応し得るものとする必要がある
・2010年 「実効的な抑止及び対処」
       (周辺海空域の安全確保、島しょう部に対する攻撃への対応、サイバー攻撃への対応、ゲリラや特殊部隊による攻撃への対応、弾道ミサイル攻撃への対応、複合事態への対応、大規模・特殊災害等への対応)
      「アジア太平洋地域の安全保障環境の一層の安定化」
      「グローバルな安全保障環境の改善」
 
・「基盤的防衛力構想」から「動的防衛力」「動的抑止力」に転換
  「今後の防衛力については、防衛力の存在自体による抑止効果を重視した、従来の「基盤的防衛力構想」によることなく、各種事態に対し、より実効的な抑止と対処を可能とし、アジア太平洋地域の安全保障環境の一層の安定化とグローバルな安全保障環境の改善のための活動を能動的に行い得る動的なものとしていくことが必要である。このため、即応性、機動性、柔軟性、持続性及び多目的性を備え、軍事技術水準の動向を踏まえた高度な技術力と情報能力に支えられた動的防衛力を構築する。」
 
防衛大臣談話「平素から各種の活動を適時・適切に行うことによって国家の意志や高い防衛能力を示す、いわば動的な抑止が重要」 「新『防衛大綱』では、防衛力の『運用』に焦点を当てた『動的防衛力』を構築することとし、装備の量と質の確保のみならず、自衛隊の活動量を増やしていくことを主眼としています。」
 
・「脅威対応論」
 南西諸島重視
  与那国島への陸自沿岸監視部隊、早期警戒機(E2C)那覇基地配備、那覇基地に戦闘機部隊を2個飛行隊に、潜水艦16->22隻体制、イージス艦4->6隻体制、戦車600->400両
 ・201012.3-10 日米共同統合実動演習(1986年から10回)(日34100、米10400)
  ・九州・沖縄方面での初参加のGWなどの島しょう防衛を含む海上・航空作戦、能登半島沖での弾道ミサイル防衛
  ・「統合エア・シー・バトル構想(統合空海戦闘)」 (米QDR 2010.2)
   「TGT三角海域」(東京新聞2011.1.13)
 
 

3.9条による制約の突破と明文改憲の衝動

 
・90年代以降、新たな解釈改憲・立法改憲による海外「派遣」体制の整備と実行
 ・明文改憲への衝動
  (日米安保の攻守同盟化 「責任分担」から「権力分担」へ
   2000アーミーテージ・ナイ報告)
  ・明文改憲による海外での武力行使=現状「変革」のための明文改憲
   ・2007年、安倍内閣の明文改憲策動の挫折
 
・新たな解釈改憲・立法改憲への衝動
 ・海外における「武力行使」の拡大
   PKOでの拡大(駆けつけ警備、廃寺妨害の武器使用)
   集団的自衛権行使の部分的突破(公海上での米艦防護、米国向け弾道ミサイル防衛)
 ・非核2・5原則化、武器輸出三原則の緩和
 ・海外出動態勢の恒常化 自衛隊海外派遣の一般法制定
   (自民党「日本再興」国家戦略本部第5分科会(外交・安全保障)2011.7.19 前原民主党政調会長発言)
 
 

4.憲法9条と国民の平和意識

 
A. 9条と安保の攻防
 ・50年代半ば~70年代前半    攻勢期
 ・70年代半ば~湾岸戦争 1991 きっこう期
 ・湾岸戦争~現在          守勢期
 
B. 国民の平和意識 (略)
 
 
 

5.憲法9条の原点 軍事力の否定

 
憲法9条の原点
 2000万人のアジアの死者、310万人の日本人死者
  軍事力の「有用性」にもかかわらず、全面的否定
 
・9.11事態以降の総括
 先制攻撃・予防攻撃戦略にもとづく軍事的対抗戦略
  単独行動から「国際協調」
  9.11死亡者 2977人。
  米兵死者(2011.9.8現在) イラク 4474人、  アフガニスタン 1760人。
  民間犠牲者         イラク 約20万人、アフガニスタン 約数万人。
  10年間の米国戦費  約1兆3千億ドル(約100兆円)
                10年で3500億ドル(26兆8千億円)国防費削減
 
自衛隊成立以来、恐らく、最大の国民的支持
 陸海空自衛隊統合任務部隊(JTF指揮官・君塚栄治東北総監)解除(7.1)
 大規模震災災害派遣終結(8.31)
 174日、延べ1000万人超
 人命救助 1万9286人(ピーク 3月13日 4789人)、遺体収容 9500人、
 医療支援 2万3370人、生活支援・給水 3万2985トン、給食 471万5453食、
 入浴 97万2293人(21か所)
  「軍事組織」としての自衛隊では決してなく、「被災救助組織」としての自衛隊への支持
 
  ・航空自衛隊松島基地 1機118億円 F2戦闘機 18機水没
   136億かけて分解調査、12機処分、6機 800億円で修理。
  ・F14戦闘機の後継機、40機の購入・修理・整備費で1兆円
 
 ・「万一への対応」ではなく、自然災害恒常化列島としての日本における、より本格的災害救助の専門部隊への転換
 敵の殺傷・命を奪うことではなく、命を救うこと、生活を支えることへの支持
  ヌチドゥー宝・命こそ宝
 
 ・武器輸出三原則 非核三原則とともに戦後日本社会のアイデンティティ
  ・軍事的なものの価値の否定
 

 
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