「ブラック」表現の是非 差別される者に寄り添う議論を / 全労協新聞 2020年9月号

「ブラック」表現の是非 差別される者に寄り添う議論を / 全労協新聞 2020年9月号

 


 

「ブラック」表現の是非
差別される者に寄り添う議論を

全国労働組合連絡協議会議長 渡邉 洋

 

 労働者を使い捨てる悪徳企業を「ブラック企業」と呼ぶ習慣が定着している。この言葉は確かに、低賃金、長時間過酷労働、サービス残業労働災害多発、セクハラ・パワハラの蔓延、こうした人権無視の企業体質をわかりやすく言い表すことで、社会問題としてクローズアッブさせてきた。

 しかし、「ブラック」=「悪いこと」とするこの表現が本当に妥当なのか、他の言葉で事実を的確に表現することはできないのか。このことは、実は以前からも指摘されていたが、黒人差別問題が全世界で焦点化する中で、改めて問わなければならない。

 

労働者使い捨ての企業の告発に貢献


 一九九五年に日経連(当時)が「新時代の日本的経営」を発表し、それと前後して、日本では非正規労働者の割合が急速に拡大していった。同時に、正規雇用労働者の働き方も長時間過酷労働、サービス残業の蔓延へと変化を余儀なくされた。全国の弁護士によって「過労死110番」が開設されたのは八八年だが、社会問題として広く認知されるようになったのは、やはり九〇年代だ。

 「ブラック企業」という言葉は、九〇年代からマスメディアに登場し始めたと言われているが、こうした労働者を取りまく環境の変化と重なっている。そして二○一三年には新語・流行語大賞を受賞した。

 「ブラック企業」と言う言葉が市民権を得て、勤め先の労働条件の善し悪しを誰もが日常会話として言い表すことができるようになったことは、やはり意味かあるだろう。


その言葉で傷つく人が存在する事実

 

 アメリカで黒人男性が警官に殺された事件を契機に、世界中に人種差別反対の闘いが広がっている。そのうねりが日本にも届いていることは、7月の全労協新聞で報じた。

 日本には黒人差別はないなどという言説が時折見られるが、大坂なおみ、八村塁、オコエ瑠偉らが、自らの体験からこの国の差別の実態について語っている。

 日本に暮らすアフリカ系の人びとから、「ブラック企業」という呼称への違和感が表明されていたが、人種差別反対の闘いの高揚とともに注目を浴びてきた。英語の語感では、黒人による黒人のための事業という意味で受け取られる。しかし日本では、そこに悪質、違法といった意味が乗せられている。「黒=悪」という言葉の使い方を知り、苦痛を感じている。

 この思いをどのように受け止めるべきか、労働組合として立ち止まり議論していかなければならない。その場合最も大切なことは、その言葉で傷ついている人がいることを知ること、その傷の深さに思いを寄せることだろう。


言葉狩り」で終わらせるな

 

 差別的な表現を言い換えようという動きには、もちろん様々な意見がある。「ブラック企業]の場合も、「差別的文脈ではない」「日本語の『黒』の伝統的な使い方の一環」「英語でも黒と悪を結びつける表現はある」等々が言われている。

 問題か大きくなるのを避けるためにとりあえず「言い換え」を用意するやり方は、テレビ局等の「放送禁止用語」のリスト作り等で見られたことだ。しかしそれは、一方で「言葉狩り」として批判された。プロセスが安易だからではないだろうか。

 言い換えの前に、その表現を「嫌だな」と思う人びとの意見に耳を傾けること、そこから差別の実態を学び理解を深めることが求められるだろう。その上で、どうしてもその言葉でなければ表現できないのか、他に良い表現は見つからないかを考え抜いていくことが大切だ。

 新型コロナ肺炎問題では、病名に国名や都市名をかぶせる悪意に満ちた差別が拡散されている。「ブラック企業」問題は、それとは問題の性格は異なるが、「苦痛だ」という声に接した以上、私たちはそこから逃げるわけにはいかない。