全労協/ 労働者の立場に立ち闘う労働組合の必要性を痛感 / 新聞 2019年4月号

全労協労働者の立場に立ち闘う労働組合の必要性を痛感 / 新聞 2019年4月号



直 言激 論

労働者の立場に立ち闘う労働組合の必要性を痛感

全労協からの要請で労働審判員を引き受けてから三年が経った。これまで担当した労働事件は四〇件余。個別労使紛争解決を目的としている制度の性格ゆえ、今まで担当した事件では労働組合が関与しているケースは一つもなかった。殆どが解雇された後の地位確認を求めつつも職場復帰は望まず金銭的解決を求めるものや、在職中の残業代の未払い事件だった。

驚くのは、就業規則がない、あっても従業員に開示されていない、契約にあたっての条件が曖昧、賃金改悪などが一方的にされる等が当たり前のように横行し「労働基準法」はどうなっているのと疑問に思わざるを得ない企業があまりに多いことだ。

個人企業や小企業ではそんなものかとも考えたがそうでもない。私たちが普段に目にするような有名企業もある。

審尋で就業規則の提示を求めると、「いい加減な規則があるだけ」という実情だったりする。これでは労働者の生活や権利がきちんと守られるというのは程遠い社会だ。

転じて、二年半前から私は「協同センター・労働情報」の事務局長を引き受けているが、やっていて感じることを。「労働情報」には「闘いの現場から」というコーナーがあり全国各地での闘いの報告を掲載しているのだが、この報告記事を集めるのに毎回苦労している今の労働運動の現状とは一体何という率直な疑問だ。

もちろん多くの労働組合の闘いがあることは知っている。しかし労働運動全体的に見れば余りに少ないと思わざるを得ない。非正規の問題、外国人労働者の問題を各労組が自らの問題として取り上げて闘えば全国に闘いの流れができるはずだ。

労働者の権利が十分確保されているとか、女性差別が無くなったなんて全く思えない現状の中で労働組合としての真剣な闘いが職場から起こっていない現状に大きな不安感を覚える。官製春闘なんて言う言葉があることすら恥ずかしい。要求作りから積み上げる労働運動はどうなってしまったのか。

「労働情報」の販売数は労働運動の活性度と密接にリンクしている。労働運動を幅広く正面から取り上げ記事にしている雑誌はもはや殆ど無くなった。これは労働運動の衰退の結果だろう。この三〇年の労働運動の総括までは踏み込まないが、闘える労働組合、闘う労働運動が大きく再起してもらいたいと願ってやまない。唯我独尊ではない、労働者に寄り添った闘う労働運動の必要性を実感している。

組合組織率は一七%そこそこ。ストライキの実感なんて知らない組合員・役員、三六協定や労働協約も知らない組合員、労働組合を体験したことすらない労働者がほとんど。こうした労働者の現状を変えないことには今の日本の右旋回は止められないだろう。全労協傘下の組合から、不満ならストライキで闘う労働運動の大切さを表現していくことで社会を変えていきたいものだ。

わが組合はまもなく解散するが、どこかで一助となれるような活動を担っていきたい。
 

全石油昭和シェル労組 
瀧 秀樹