国鉄闘争の経験から
全労協書記退任にあたって
全労協書記
岩野浩昭
私は、二〇〇四年五月に北海道から上京し、国労闘争団としてアルバイトをしながらオルグに走り回るなど原告団事務所を拠点に活動していました。その後、国鉄闘争、とりわけ国労闘争団の闘いから色々なご緑があり、二〇〇九年十一月一日より前任者の小川美智子さんから全労協書記の後任を引き継ぎ、十一年余に亘り勤めることが出来ました。このたび、二〇二〇年七月末をもって全労協を退職いたしました。在任中に多くの皆さんから頂きました温かいご支援とご協力に心から感謝申し上げます。
私が全労協の書記として心がけてきたことは、組合員や常任幹事の役員の皆さんの日々の活動がスムーズに出来るように気を付けてきたことです。今振り返ると、実際には思うようにできなかったこともあり、心残りもあるというのが本当のところです。
もう一つ、心構えとして思ってきたことは、全労協の岩野に相談すれば、何かしらの糸□が見えたら良いなあと考えて行動してきたことです。少しでも解決や良策に導くことが出来ないか、との思いを大切に奮闘してきたつもりです。また、事務的なところでは色々な形や形態・形式・様式・要領・方法など提案できたのではないかと思っています。以前はどんな風にしてきたのかと色々調べても雛形はなかなか見つけられず、探すことに時間をかけるより、様式を作る方に時間を費やす努力をしてきました。
そして、特にとても楽しく関わることができたのはマーチ・イン・マーチの取り組みです。ステージでの演奏などは好きな分野でもあり、普通の組合活動ではなかなか接点の少ない移住労働者の皆さんと一緒に活勣することが出来ました。現実には、参加することさえも厳しく難しい状況の皆さんだと思いますが、マーチ・インマー・マーチに参加して良かった、関わって良かったと思えるように一緒に奮闘してきました。
在任中には様々な労働争議が起きました。私自身も国労闘争団で二四年におよぶ解雇争議を経験しているだけに、被解雇者の仲間たちに思いをよせて、自らの経験から陰ながらの支援ができないかと考えてきました。東京全労協では、各ブロックの大会や旗開き、春闘集会、学習会などは予定が重ならない限り参加するようにしてきました。全労協・東京全労協の書記をしている者の顔が見えるように心掛けて組合員との繋がりを作ってきたつもりです。
退任後につきましては、まだ何も決めていません。どこかに再就職するという気持ちも今はほとんどありません。今は切れた凧のように、フワフワと気の向くままにしたいと思っています。実際にコロナ禍では再就職も難しいと思います。激流の中で過ごしてきた時間か余りにも永く、少し穏やかな時間を味わってみたいと思います。両親や兄弟の待つ故郷の北海道へ帰り、親孝行など何もすることはできませんか、私の帰りを待つ両親の近くに居てあげれば良いなと思っています。皆さま、大変永い間お世話になりありがとうこざいました。