企業の不正・不祥事を斬る(静岡県共闘)
労使癒着を招いた労組の責任
経営の監視も労組の重要な任務
日本を代表するような大企業で次々と発覚した不正や不祥事、全く情けない限りだ。
日本の労働組合は、世界的にみても珍しい企業内組合であることがその特徴だ。それらの組合は、労使協調を通り越して「労使癒着」の時代に入っている。このことは一部の組合を除き、「連合」の大部分の組合に言える。
労働組合の目的の基本をなすものは、労働者の労働条件の向上と権利の拡大である。
そして、経営に対する監視も重要なことだ。企業内組合ならばなおさらのことだ。「労使の癒着」はこのことを怠り、放棄する中で起こった企業の不正・不祥事である。
労使協調路線は、企業の成長・発展を通じ従業員(組合員)の生活と権利を守り、向上することを基本に据えたはずだ。労使癒着への組合の転落は、企業の不祥事として表面化し、組合員の生活と権利を守るどころか組合員の生活を脅かすことになっている。場合によっては、倒産・工場閉鎖へ発展し職を失うことにもなりかねない。
企業の不正を暴くことは、企業内労働組合だからこそできることなのだ。働く末端現場は、まさしく組合員が押さえているからだ。組合や組合幹部が信頼されていれば、企業は不正行為をやらないし、やったとしても組合員を通じ直ちに組合に情報は上がってくるハズだ。
それがなかったということは、いかに組合が組合員から信頼されていないか、または乖離しているかだ。単に組合費を徴収し、時々組合相手にリクレーションを行うことでお茶を濁している組合がいかに多いことか。そのことに何の疑問も持たない組合員も問題だが。
1989年、総評が解散し、連合が結成された。当時、既存の組合は「右より労働戦線の統一」を目指し、なだれをうって連合へと移行した。日本の労働運動の弱体化はここから始まった。全国の地方組織も解散を余儀なくされた。静岡県共闘は、その中で「総評を受け継ぎ」立ち上がってきた闘う組織だ。当時、連合の中に入って変えていくと言った人たちは、今はどう考えているんだろうか。