3・16 NO NUKES みやぎ / 全労協新聞 2014年5月号 4面から



3・16 NO NUKES みやぎ
福島の思いと連動して
女川原発再稼働阻止へ


三月十六日、雨模様の仙台市中心部、錦町公園。大震災三周年にあたっての「NO NUKES みやぎ」、つまり〈脱原発・宮城〉の場となった。一五〇〇人がそこに集まった。大震災以降、宮城での最大規模の脱原発行動となったと報じられた。

女川原発の再稼働を許さない!2014みやぎアクション」は脱原発のために活動している宮城県各地の市民・住民運動団体、消費者団体、労働運動団体や個人賛同によって準備、実現された。会場に掲げられた様々なのぼり旗やブースが運動の広がりを表している。

午後二時から野外集会が始まった。「2014みやぎアクション」の鈴木宏一代表が主催者挨拶。「この三三年間にスリーマイル、チェルノブイリ、福島と三つの重大事故が発生した。今後は発生させないということは不可能だ」「規制委員会のシビア・アクシデント対策はメルトダウンのような重大事故に対応できないし、再稼働の前提にはならない」と述べ、「絶対に女川原発の再稼働を認めることはできない。再稼働を阻止し、廃炉に追い込もう!」と訴えた。

集会ゲストは二人、武藤類子さん(福島原発告訴団・団長)と佐々木功悦さん(前・宮城県美里町長)。

武藤さんは「被害は形を変えて拡がっている」と指摘した。「汚染水は解決策も見出せない」「福島第一原発四号機周辺で九〇μシーベルトという過酷な環境の下で働いている」「中間搾取も広がっている」「甲状腺検査で二四万人中七四人の子どもたちに甲状腺がんの疑い」が明らかになった。

一万四千人が参加した裁判は「全員不起訴」となった。司法も福島原発事故責任を裁かない。「3・11は東北にとって記念日ではない、現実なのだ。福島で起きている事態、それは搾取と差別だ」。武藤さんは東北の歴史性にも触れ、3・11が持つ意味をあらためて問いかけ闘っていこうと訴えた。

前・美里町長の佐々木功悦さん。三十キロ圏内自治体(UPZ)となった美里町はいち早く「脱原発」を宣言し「原子力に依存しない社会」を目指している。

ジョン・レノンは「想像してごらん」と歌った。世界平和を願った曲「イマジン」から四十年、「世界は一つになってほしいとの願いはいまだ実現されていない」。そのように振り返りながら佐々木さんは「福島原発事故が起きるまで、原子力の平和利用のため原発は必要」と思ってきた。しかし「安全神話は崩壊し、人間の手でコントロールできないことを知り、それが脱原発の道を歩む出発点となった」。

ドイツは脱原発へと舵を切った。原発推進・輸出を目指す日本は「倫理観」を喪失しているのではないか。某有名政治家から「脱原発を言うと周りから〈危険分子〉と見られるよ。それでいいのか!」、と。そのエピソードを披露した佐々木さんは「原発推進・再稼働を言う政治家こそ〈危険分子〉ではないか」。毅然とした反論に、会場から拍手がやまなかった。

「女川から未来を考える会」を代表して阿部美紀子さん。「女川では〈復幸祭〉が開かれている。復興に取り組む事は美しいが、それを妨げているのが原発だ」「がれきの中心で廃炉を叫びたかった」。町の七〇%を津波で失った女川で八月十日「女川トーク&ライブ」が企画されている。

女川原発廃炉を求める大崎連絡会」代表の佐藤昭一さん。大崎市議会での「女川原発廃炉を求める意見書採択」について報告。同様の意見書が前年は不採択だったが、今回は「飯館村視察」によって議員の意識が変わった。「県内全市町村で採択させよう」と訴えた。

東日本大震災被災者への「黙とう」をはさみ、野外集会は最後に「3・16 NO NUKESみやぎアピール」を採択した。アピールは「原発のない宮城を願う県民の力をひとつにし、何倍にも大きくして、女川原発再稼働を止めましょう!」と宣言した。

仙台一の繁華街である一番町を通り抜け、二キロのデモ行進へ。それぞれの団体が工夫を凝らしたゼッケン、横断幕を掲げ「原発いらない!」「女川原発再稼働反対!」「原発無くても電気は創れる」のコールで道行く人に訴えて行く。日曜日の昼下がりだ。子ども連れの家族や若者たち、多くの人々が街頭に出ている。この人ごみのなかに福島から避難してきた人達もいるのだろう。

故郷を原発によって破壊された〈福島の思い〉と、原発と人間社会は共存できないという〈脱原発・反原発〉の思いは、交差し、連動しながら宮城県内にも広がっていくだろう。

(宮城全労協



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