労働組合の視点で「体罰」「暴力」問題を考える  全労協新聞 2013年3月号 4面から



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監督・コーチの労働者性認めさせた争議(左から3人目が高嶋さん)

労働組合の視点で「体罰「暴力」問題を考える

非暴力がスポーツの本質

高嶋 
全国一般東京労組日体大分会


学校体育としての
日本のスポーツ

大阪市立桜宮高校運動部の体罰自殺が明るみになって以降、全国の運動部顧問の体罰が相次いで発覚する中、今度はトップアスリートの強化の現場で選手が監督・コーチの暴力行為を告発する事態に至り、スポーツ界は史上最大の危機に直面している。

ここでは、一連の出来事を労働組合の目線に立って見た時、そこに何が見えてくるのか少し考えてみたいと思う。

日本のスポーツは、欧米とは違って「学校」を中心に発展してきたところに特色がある。このことは日本のスポーツを理解する上で大事なことです。そしてこのスポーツは近代国家づくりの国策「富国強兵」を目的とした「体育」として行なわれ、その指導が体育教師によって担われ、さらに、体育には近代教育システムの成立と維持に不可避なら「体育=力」という構図が巧妙に出来上がり、暴力に寛容なスタンスがとられてきた。そこから運動部の「スポーツ=暴力」と言う構図も出来上がり、それがスポーツの本質であるかのように間違った考えを持たれてきた所以でもある。言うまでもなく近代のスポーツは人間の肉体・身体的闘争から暴力を徹底的に排除することから生まれてきたもので、非暴力がスポーツの本質です。

部活動を担う
教員の貧困

しかし、運動部活動におけ体罰、暴力が後を絶たないのは何故なのか。

中・高「教動」とれ、体罰は「学校教育法」で禁止されている。そこで運動部活動を担っている顧問教員について見ておきたい。中学で六〇%、高校では四五%の教員が学校長から運動部顧問として運動部活動の業務を委託されている。運動部長は生徒であるが、そこに教員が顧問として位置づくことで教育活動としての形式が整い、実際指導は顧問=監督として行なわれるのが普通である。中学で六二%、高校では五三%がそのような形で指導に当っている。

運動部顧問をしていれば、熱心であればあるほど休みがなく、四割強は「一週間の中で休める日がない」状況で、それは顧問家族の空洞化による過密労働の負担である。日常の教科の取り組みと合わせて長時間過密勤務の個人負担に悲鳴を上げているのが現状である。

換言すれば、運動部顧問は「教育活動」という縛りの中で、運動部活動の業務委託を命じられて無給的な指導を担わされている。しかもその指導は授業とは別の指導力が求められ、さらに技術指導が出来ない部の顧問になった場合の問題など、指導体制そのものに問題を抱えている学校がほとんどである。

部活動手当てを含む教員特殊手当ての倍増が四年前から行なわれるようになったが、土・日曜日四時間で二、四〇〇円。時給に換算すれば六〇〇円である。一握りの私学のスポーツ強化校は別として、運動部活動を担っている顧問教員の「労働環境」は劣悪で、顧問教員の個人負担で行なわれていると言っても過言ではない。仮に手当てを最低賃金並みの水準に引き上げたところで顧問教員の問題解消に結びつかないところに運動部活動の問題の難しさがある。

指導者の労働者性を
明らかにした
東京高裁判決

教員の本務は教育課程の教科を教えることであるが、顧問としての運動部活動の指導て、顧問の「労働者性」の問題も起こってくる。しかしこの問題を正面に据えて闘った労働組合は聞かない。その最大の理由は「教育活動」という縛りが掛けられて行なわれている「運動部活動」に起因している。

しかし、学校の運動部活動が「教育活動」から「競技スポーツ」として制度化されれば日本のスポーツの未来像も大きく変ってくる。

一方、トップアスリートを強化するスポーツ団体の殆どが体制的予算的な問題から自前のプロ指導者を置けない状況にあるので、指導力のある人材をある一定期間、企業側から派遣してもらって指導態勢を整えているのが現状である。今回の全柔連監督の職場は警視庁。後任の監督代行の職場は日体大である。今後、協会指導者の業務委託問題が議論されてくると期待されるが、それは体育・スポーツ系大学をも巻き込んだ指導者のディプロマ制度の見直し検討とも絡んでくると思われる。

中・高には競技スポーツを統括する団体(「中体連」、「高連」)がが、大ーツを統括する団体はない。それは大学の運動部の大半が学生自治会組織の中で育まれてきた事情と関係している。近年、大学経営の戦略として競技スポーツの経営価値が見され、運動部組織を学生自治会から大学組織に位置付ける大学も見られるようになってきた。

こうした動きの中で、東京て「運部」の指導者問題である日体大の教職員が運動部の監督・コーチに専任する業務の「労働者性」を闘い、二〇〇八年一月、東京高裁判決(確定)を勝取った意義は極めて大きい。今こそ、この成果を広く社会に訴え、活かしていく好機ではないだろうか。




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