3/1 春闘講演会(神戸)

 
「『幸せになる資本主義』と労働組合の役割
田端博邦さん(東京大学名誉教授)


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今週の本棚:伊東光晴・評 『幸せになる資本主義』=田端博邦・著 (朝日新聞出版・1680円)【毎日新聞
 
 この本が明らかにしようとすることは二つ。第一は、一九八〇年代以後アメリカ、イギリスに登場したネオ・リベラリズムが主張した「自己責任論」の誤りであり、第二は、庶民にとって、生活しやすい社会とは、公共サービスの多い社会だということである。両者は密接に関連している。
 
 労働法学者らしく、自己責任論が妥当する基礎条件を、政治哲学の古典ともいうべきロックの『市民政府論』(一六九〇年)から明らかにする。ロックは言う。人間が自由であるためには、自ら土地を持ち生活ができることが必要なのである、と。当時の独立自営農民を頭に画(えが)いていたことは明白である。そうした生活の手段を持った自由な人間の行動が自己責任をともなうのは当然である。
 
 したがってロックの考えからは自ら生活する手段を持っていない労働者には、失業はそれを選んだ自分の責任だ、と言えないのは自明である。にもかかわらず、これを無視して自由と自己責任を問うのが古典的自由主義である。
 
 民衆が賃金の引上げや生活環境の改善を求めたこの時代、こうした民衆の要求は、民主主義とよばれ、古典的自由主義は民主主義と敵対したと著者は言う。こうした対立が、やがて社会の責任を認めさせ、政府が、社会問題の解決に大きな役割を果す社会へと西欧は変っていったのである。
 
 一九八〇年代、レーガンサッチャーの登場によって脚光をあびたネオ・リベラリズムは、市場経済を基礎とする自由な個人の関係を拡大することによって、社会の責任を最小限に縮めようとした。それは一見古典的自由主義の復活である。
 
 だが重要な点で違っていると著者は言う。ロックは、生存に必要な所有を認めるが、それ以上の所有を否定する。それが、ネオ・リベラリズムにはない。それは富裕者の味方である。
 
 加えて航空管制官のストにさいして、レーガンは全員を解雇し、軍関係者で代替したこと、サッチャー労働組合を弱体化させるいろいろな政策をうったことなど、労働法学者ならではの指摘である。
 
 富裕者中心の考えに反対したアメリカのセオドア・ルーズベルト(二六代大統領)の言葉が面白い。「大規模ビジネスの特殊利益が、自らの利益のために、政府と人と政策を支配し、腐敗させている。われわれは、この特殊利益を政治から排除しなければならない」等々である。ルーズベルトは、二〇世紀のはじめ、アメリカでスタンダード・オイルをはじめ巨大企業を反トラスト法で告発し、分割した時の大統領であるとともに、公衆に役立つトラストは良しとし、自然保護に力をそそいだ人でもある。
 
 この時、分割を免れたU・S・スティールの創業者、カーネギーが「富者の富は『公共のもの』」と言っているという。日産のゴーンに煎(せん)じて飲ませたい。
 
 著者は、ソ連圏の崩壊後の社会をフランスの実業家アルベールに従って「資本主義対資本主義」の社会としてとらえ、市場で私的財として提供される財の割合、逆に言えば、何らかの形で、公共が関与して提供される財の割合から、その資本主義を、アメリカ的と、西欧的と区別する。
 
 医療と住宅は明白であろう。国民皆保険の西欧に対して自由診療、私的保険のアメリカの医療費がいかに高いか。公的住宅と家賃補助制度に加えて、個人が住宅を建てるとき、補助のある西欧--これに対して、住むところを私的に解決しなければならないアメリカ。こう著者に言われてみると、アメリカ社会の病は、サブプライム低所得者向け)・ローンにしても、医療保険にしても、この市場主義的供給にあることがわかる。
 
 日本はどうか。九〇年代以降、この分野でも、西欧的要素がどんどんうすれていることに注意する必要がある。幸福な資本主義から遠ざかりだしたのである。
 
 著者が大きく取りあげるのは教育である。英米の有名大学は私立で、その授業料は極めて高い。対するドイツ・フランスは国立で無料。もちろん高校も無料である。民主党の高校授業料無償化をバラマキというのは、西欧では理解されない。
 
 著者は教育の理念が違うのだという。アメリカの大学はそこで学んだことで、将来の高給をうるという私的な利益のためのもので、正に市場主義的である。対する西欧の大学は、教育は公共的なもので、そこで無償に学んだものは、その成果を社会に還元させるべきものだという考えのもとに立っているという。
 
 著者はこの本の終章で「雇用や教育、医療、住宅などについての公共的な支えが」弱くなると、人々は自己責任で生活せざるをえない。「公共性の欠如は利己心を増進する」--逆に「公共支出の増加は、利己心から人々を解放する」と。卓見である。幸せになる資本主義がいずれかは自明であろう。
 


 
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