菅政権を打倒しよう / 全労協新聞 2021年9月号

菅政権を打倒しよう / 全労協新聞 2021年9月号

 


#全労協

 

五輪強行による
歪みは明白
安心安全軽視の
菅政権を打倒しよう

全国労働組合連絡協議会 議長 渡邉 洋

 

 オリンピックが終わり、パラリンピックヘとイベントが続く。その間にコロナ感染者数は急激に増加した。病棟が塞がり自宅療養中に命を落とす人も増え、医療崩壊の足音が忍び寄る。政府は五輪と感染拡大の関係を否定するが、果たしてそうだろうか。厳格な総括が求められる。


五輪強行ありきの
相次ぐ暴論

 コロナ禍の中で強行開催された五輪では、大半が無観客であったにも関わらず、期間中に感染は急拡大した。菅首相は「五輪が感染拡大につながるとは考えない」と発言、小池都知事も会場周辺での密集について「印象論」と否定した。政権と深く結び付く竹中パソナ会長はネット上で、「感染者は増えても死者か少ないからいい」と述べた。

 今回の感染が選手や五輪関係者から直接広がったのではなくとも、五輪強行開催という政権の姿勢が危機管埋のメッセージをゆがめ、感染対策に向かうべき人、もの、金の優先順位を狂わせ、人流を刺激し感染拡大に拍車をかけた。「死者云々」については論外だ。重症者、死者数は時間をおいて増加を示し、適切な対応が取られていれば助かった命かいくつも失われてい
る。症状や後遺症で苦しむ患者、さらにはそれを手当てする医療従事者の過重な負担にも目を閉ざすものだ。


完全に空文化した
五輪憲章の精神


 七月三十一日、自民党の河村元官房長官は、日本選手の活躍がわれわれの力になる、五輪がなかったら国民の不満は政権に向かう、と「本音」を語った。オリンピック憲章が厳しく禁ずる「政治利用」こそが、大会の本当の目的であることが改めて明らかにされた。

 オリンピック憲章をもう一度読み直してみよう。「オリンピズムの根本原則」には、人間の尊厳の保持、
平和な社会の推進、スポーツは人権、政治的中立、いかなる種類の差別にも反対、友情・連帯・フェアプレイに基づく相互理解が書かれている。

 さらに、第一章六「オリンピック・ムーブメント」には次のように書かれている。

 「オリンピックは、個人種目または団体種目間での選手間の競争であり、国家の競争ではない」

 

 五輪騒ぎによって人びとの不満を葬り去ろうとする政治、テレビ局の都合で酷暑の中の開催をごり押し、組織や式典企画等での差別体質、メダル競争で平然と鼓舞されるナショナリスム。今回の大会に意義があったとすれば、商業主義と利権、政治の思惑によって引き回された五輪であることが可視化されたことではないだろうか。


市民・競技者を
危険に晒す暴挙


 感染状況がさらに悪化する中、小池都知事は八月-八日、「パラリンピアンの放つ輝きはわれわれに勇気を与える。安全安心な大会運営を最優先に必ずや成功へと導く」と述べ、パラリンピック強行開催の考えを明らかにした。

決意表明と意えば聞こえは良いが、根拠のない精神主義であり、安全安心の具体的裏付けは語られない。「学校連携観戦ブロゲラム」について、


 小池都知事は「希望する子がいる」「教育的な価値は高い」と述べている。しかしこれは、原則無観客、修学旅行中止などの施策に完全に逆行している。

 パラリンビックが障がい者スポーツを通じて「共生社会の具現化」のために意義のある取り組みであったとしても、感染というリスクを衝いてまですべきことなのか、延期という選択肢をなぜ封じてしまったのかは問われなければならない。


総選挙勝利で
めざせ政権交代

 

 菅首相の思惑は外れ、五輪でのメダルラッシュを経ても、政権への支持率が持ち直すことはなく、さらに低迷している。五輪を使って支持率アップという有権者をなめきった姿勢が、コロナ無策と相まって見抜かれたのだ。横浜市長選挙でも、首相の推す候補は大敗した。

 今こそ、感染対策と市民生活の維持に苦闘する労働者、コロナ不況で収入の道を閉ざされた労働者の怒りを結集し、来たる総選挙に勝利しよう。