全労協/ 改憲発議を許さない / 新聞 2018年12月号

全労協 改憲発議を許さない / 新聞 2018年12月号



全労協新聞
より


改憲発議を許さない

安倍政権が語る「国の未来、理想の姿」を憲法に書き込ませてはならない



安倍首相が、今臨時国会での憲法改正発議に並々ならぬ意欲を示している。具体的には、第九条第一項、第二項をそのまま残して、新たに第三項を加筆し、憲法の中に自衛隊を位置づけるようだ。目的は、自衛隊違憲論を封殺することとされている。

しかし、その狙いは第九条にとどまらない。安倍首相は過去にも繰り返し「憲法は国の未来、理想の姿を語るもの」と持論を述べている。そこで語られるであろう「物語」は、自民党草案に表されているが、国家権力から国民に向けられている。このことは、憲法が国家権力を縛るものという、私たちが当然と思ってきた憲法の概念と真っ向から対立するものだ。


聖戦と天皇の軍隊

十年ほど前に鹿児島県を旅行し、知覧特攻平和会館を訪れたときのことだ。高齢の語り部の方が、「私の話はしばしば戦争を美化していると批判される」と前置きした上で、隊員たちの残した遺書の説明を始めた。彼は、多くの隊員たちが両親への感謝の気持ちを書き残していったこと(それは事実だ)を説明したのだが、そのとき突然、静まりかえっていた観光客の中からヤジが飛んだ。中年男性と思われるヤジの主旨は、天皇陛下万歳と書き残した(それも事実だ)ことを正確に伝えろ、というものだった。

おそらく、年格好から言って、出撃する隊員たちをじかに見送ったことがあるその語り部は、ヤジにある指摘を承知の上で、両親への言葉にこそ隊員たちの本当の気持ちを感じていたのだろう。彼の心のどこかに、かわいそうなことをした、という思いがあったのだと思う。

ヤジを飛ばしたほうは何を思ったのだろうか。両親への感謝の気持ちでは何がいけなかったのだろうか。さいごの言葉はなぜ天皇陛下万歳でなければならなかったのだろうか。彼の中には、こんな「物語」があるのではないか。あの戦争は、アジア解放のための聖戦だった。特攻兵はその「悠久の大義」のために自ら進んで命を捨てた。それは名誉なことであり、仮にも「かわいそうなことをした」などとは思ってはならない。

靖国神社は、大戦を聖戦と位置づけた上で、天皇の軍隊の一員として亡くなった人を「英霊」として顕彰(功績などを一般に知らせ表彰)する施設とされている。戦争の犠牲者を追悼(死者の生前をしのび、その死を悲しむ)するところでは決してないのだ。こうした靖国神社の性格を踏まえてみると、知覧で飛ばされたあのヤジの意味がぴたりと重なってくる。さらにその文脈で「国の未来、理想の姿を語るもの」としての憲法を考えると、一見もっともらしい言葉の背後にある刃が見えてくる。 


奴 らを通すな!

安倍首相は過去に何回か、九六条先行改憲に意欲を示した。改憲手続きが厳しすぎて(改憲賛成の)民意が多数派になっても切り捨てられてしまうというのがその理由だった。しかし、改憲に肯定的な憲法学者までもが、これを「裏口入学」と批判した。この一件で示されたのは、ゴールを示すことなくとにかく改憲という実績を作ること、その実績を通じて、制度としても世論形成としても改憲のハードルを下げるということだろう。だが、ゴールは間違いなく用意されている。それは、国家権力の側が「国の未来、理想の姿を語るもの」にならざるをえない。国家権力が語る「国の未来、理想の姿」を、憲法に書き込ませてはならない。奴らを一歩たりとも通してはならない!