日本学術会議任命拒否問題の徹底追及を! / 全労協新聞 2020年12月号

日本学術会議任命拒否問題の徹底追及を! / 全労協新聞 2020年12月号

 


 

日本学術会議任命拒否問題の徹底追及を!

法治主義を否定する菅政権の横暴を止めよう!

全国労働組合連絡協議会 議長 渡邉 洋


 菅政権による日本学術会議任命拒否問題が紛糾している。

 国会では連日、野党から厳しい質問がぶつけられているが、モリ・カケ・サクラ同様、論点逸らしの不誠実な政府答弁が続く。世論はこの攻防に次第に飽き「いつまで同じ質問をするんだ?」と批判の矛先は野党側に向かおうとしている。

 しかし、ことは政権側が言うような「一部の学者の既得権益」問題ではない。戦前の過ちへの反省から導き出された学術会議のあり方は、現行憲法の根幹にも関わる問題なのだ。労働者、労働組合がこれを他人事で済ませれば、やがて労働基本権も空文化されるだろう。


歴史の反省が政権を監視する

 日本学術会議法の前文は、会議の使命について、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わか国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与する」と明確に規定している。

 会議の目的は「わか国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」(第二条)としている。

 さらに第五条で、科学の振興及び技術の発達、科学に関する研究成果の活用、科学研究者の養成等に関する方策、科学を行政に反映させる方策、科学を産業及び国民生活に浸透させる方策その他について政府に勧告できると定めている。

 これらの記述が示すのは、戦前、滝川事件や天皇機関説事件等で権力の学問への介入を許し、学問か戦争協力に総動員されていった歴史か踏まえ、政府から独立した機関として科学の視点から政府をチェックする存在だということだ。現代の科学が高度化・巨大化したことも相まって、同会議が軍事研究やゲノム編集に関わる研究には抑制的な立場を取っていることも極めて当然だ。


極めて危険な突然の解釈変更

 日本学術会議法は、当初会員の選出を公選制で行っていたが、組織票に左右される制度の弊害が言われ、一九八三年の法改正で推薦制へ移行されることとなった。この過程で選出の自主性が保たれるか否かか問われたが、新しい第七条は「会員は…推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とし、当時の中曽根首相は「学会等から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎない」と国会で答弁した。

 しかし菅政権は突如、公務員の選定に関わる憲法十五条を持ち出し、この笞弁について「必ずそうしなけれぱいけないというわけではない」と見解を翻した。この法解釈変更は、国会での議論の経過を著しく軽視し、法治主義を否定するものだ。


透けて見える民主主義の否定

 六人を外した理由について、政府は「人事案件については答弁を差し控える」と言い続けた。その後「総合的俯瞰的観点」と説明したが、六人が具体的にどう問題があったのかについては答えず、さらに追及されると一〇五人全員の名簿は見ていないと発言、さらには「出身や大学に偏りがある」と説明しだしたが、偏り云々はことことく事実と異なるものだった。

 本当の理由は、ことある毎に政権に楯突く学術会議が目障りであり、その中の象徴的な六人を見せしめにしたということだろう。しかしそれを公言することが、戦後民主主義の根幹の否定につなかることは、さすがの菅政権も気が付いている。だから本当のことが言えず、取り繕った理由で右往左往している。

 問題はその先だ。世論の風向きが変われば、開き直ることは当然考えられる。現に政権の周辺では、学術会議不要論やら、学問の自由を言うなら税金を使うなといった乱暴な言説が拡散している。

 世論の風向きを政権の思い通りに変えさせてはならない。政権の横暴を許せぱ、市民社会、労働者を取りまく環境はますます息苦しいものになっていくだろう。