「コロナ後」の危機を見据えた闘いを! / 全労協新聞 2020年6月号

「コロナ後」の危機を見据えた闘いを! 全労協新聞 2020年6月号

 


 

「コロナ後」の危機を見据えた闘いを!
全国労働組合連絡協議会
議長 渡邉洋

 

五月十四日、安倍首相は三九県の緊急事態宣言解除を発表。新型コロナ感染拡大のペースはかなり減速したが、止まったわけではない。諸外国では規制緩和後の再拡大の報告が相次いでいる。経済活動の再開見通しに対する安堵感と感染再拡大への不安感が同居する。

注目しなければならないのは、宣言解除から取り残される人びとの存在だ。医療現場は疲弊し、医療用諸物資の不足は解消されない。すでに収入の道を閉ざされてしまった人びとへの救済も進んでいない。レナウンの経営破綻は、リーマンショック以上の危機の予兆となりそうだ。


官製「新しい生活」と「自粛警察」

厚生労働省は五月四日、専門家会議の提言を踏まえ新型コロナを想定した「新しい生活様式」を公表した。感染拡大を防ぎ、危機に直面する医療現場への負荷を減らすためにも、様々な努力が必要なことは当然だ。その意味では、「新しい生活様式」の個々の実践例は否定されるべきではない。しかし同時に、個々人が自ら考えることを忘れ、行政からの要請を待ち、より強い指導に期待し、上からの要請、指導を機械的に社会に当てはめることの危険性も指摘しなければならない。それは必ず、誤った「正義」を生み出し、指定された様式からはみ出すことへの不寛容へとつながる。

自粛要請に従わない店名を公表するといった行政の対応が際立った。店側には当然事情がある。店舗の維持費、従業員の賃金保障等の固定費の支出が避けられないから、収入を閉ざすことはできない。そうした事情を丁寧に聞き、話し合いを重ねるといったプロセスはあったのか?感染予防だから絶対だという「正義」の押し売りはなかったか?今、「自粛警察」なる過剰な自警団活動が拡大しているが、そこには行政の責任もある。


「新しい働き方」に潜む危険

「新しい生活様式」の中で、厚生労働省は「働き方の新しいスタイル」として何点か列挙している。テレワーク、ローテーション勤務、時差出勤、広いオフィス、オンライン会議、換気とマスク等々だ。これらの例示も、感染経路を遮断するという意味で、個々には否定されるべきではない。労働安全衛生上、使用者に対して取り得る対策を求めていくことも必要だ。新しい働き方に対応した新しい労働組合の姿が求められるだろう。しかし矛盾するようだが、「これこそがコロナ後の働き方だ」と叫ばれると、異議を挟まざるを得ない。

そもそも原理的にテレワークの成立しない業種が多いことに加えて、テレワークが労働の請負化を促進する可能性は大きい。これはそもそも政府、財界が「働き方改革」の中で謳ってきた政策であり、安全衛生ではなく生産性向上を目的としたものだ。

ローテーション勤務は、労働密度を上げるとともに、人員削減を誘導しかねない。広いオフィスは理想だが、多額の支出増を伴わざるを得ず、現実的ではない。働き方の激変は必ず矛盾を引き起し、犠牲者を生み出す。高度成長期の公害被害然り。そこに焦点を当てていくのが労働組合の大切な使命だ。

 

職場闘争・地域闘争の火を消すな

経営側が早々に春闘不要論をぶち上げ、組合側も一部がベースアップ数値目標不要を口外した20春闘は、コロナ禍によってほとんどすべての行動が中止され、結果だけでなく、姿も見えなくなった。しかし、一時休戦を挟みながらも、中小労組を中心に春闘は続けられている。

コロナ禍は、一方で過酷労働を生み出しながら、もう一方で多くの人びとから仕事を奪っていった。観光バス・タクシー、ホテル・旅館、飲食業等で倒産解雇が相次ぎ、非正規雇い止めやフリーランスの契約打ち切りも激増している。外国人留学生、技能実習生が職を失い、帰国も許可されず困窮するという事態も拡大している。コロナ禍を口実にした団交拒否も相次いでいる。

政府は、小学校等休業対応助成、雇用調整助成、十万円の特別給付等を決定してきたが、いずれも後手後手であり、決定の過程では迷走があった。個々の制度はまったく不十分だが、それでも労働者・市民の声で実現してきたものだ。感染対策上、行動の制限は多いが、工夫を凝らした闘いが社会を動かしている。労働組合労働組合らしく、職場、地域での闘いを続けていこう。

 

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