全労協青年委員会福島フィールドワーク / 全労協新聞 2016年12月号

全労協青年委員会福島フィールドワーク / 全労協新聞 2016年12月号


全労協
http://www.zenrokyo.org/

全労協新聞
http://www.zenrokyo.org/simbun/sinbun.htm
より



全労協青年委員会福島フィールドワーク

原発事故は「人災」
原発はいらないと確信



十月二十九日~三十日の一泊二日で行なわれた全労協青年委員会福島フィールドワークに参加しました。私自身、脱原発原発事故に関する学習会などに参加することはあっても、原発に近い町には今まで行ったことはありませんでした。

いわき市の宿泊場所から、国道六号線を北上し浪江町方面に向かう車内で、牧野さん(全国一般いわき自由労組)から除染をめぐる状況と現状について話されました。現在も三~四万人が原発関連(中間貯蔵施設や除染なども含む)で働いていることや、除染労働における賃金・手当が二〇一二年十月にはほとんどの業者が賃金六、〇〇〇円+特殊勤務手当一〇、〇〇〇円だったのが、二〇一六年四月には賃金六、〇〇〇円+特殊勤務手当六、六〇〇円と低くなっているとのこと。さらに、帰還促進・中間貯蔵施設建設など被曝労働の拡大により、二次下請け・三次下請け…と下請けが拡大し、特殊勤務手当や安全衛生が不透明になりつつあるということです。


分断される
住民の心


広野町では、被災したいわき自由労組の組合員の実家の中に入らせてもらうことができました。原発事故のため、被災した家を修理することも解体することもできずに雨漏りして住むことができなくなっていました。また、富岡町大熊町双葉町では国道六号線から脇道には入れず、本当の復興までは、まだまだ時間がかかると感じました。さらに、国の帰還政策の矛盾についても、目の当たりにすることができました。国は、避難区域を「帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域」の三つに分けています。そして来年三月には居住制限区域の一部が解除され避難指示解除準備区域となります。

放射線量はどちらの地域も依然として高く、住める状況ではありません。帰還困難区域を出来るだけ減らし、復興は進んでいると思わせることが目的なのかと思ってしまいます。そして、それぞれの区域によって補償金の額も全然違うなど住民同士の心の中に分裂・分断が生じてしまうことも原発事故の怖さだと思います。「原発事故からの復興」は、町のインフラの復興だけでなく、住めるようになるまでの環境や住人の心も併せて復興して行かなければいけないもので、非常に難しい問題であるということ、とても困難であるということがよくわかりました。

二日目の午後は、いわき市内の泉玉露地区にある仮設住宅を訪ねました。この仮設住宅には、富岡町で被災・避難している方が住んでいます。住人の方から地震発生時から翌日の避難指示、そして今に至るまでのお話を伺いました。一瞬にして郷土を奪われ、家族がバラバラになり、コミュニティが崩壊、祭りなどの伝統文化まで失われてしまいました。そうした話を聞き、あらためて原発事故は「人災」であり、このような悲惨な結果を招く原発はいらないと確信しました。これからも、脱原発社会の実現に向けて闘っていきたいと思います。

(青年委員会事務局次長
西山康彦)