安倍政治の継承を許さない / 全労協新聞 2020年10月号

安倍政治の継承を許さない / 全労協新聞 2020年10月号

 


 

隠蔽・改ざんに
まみれた安倍政治の
継承を許さない


全国労働組合連絡協議会 議長 渡邉 洋

 

 「安倍政権を継承する」菅義偉氏が、自民党総裁選で圧勝し、首相となった。「たたき上げの苦労人」といった伝説が流布され、人物評も上昇気味らしい。

 

 しかし忘れてはならない。モリカケ・サクラ疑惑を徹底追求する記者の質問を、安倍首相の盾となってひねり潰した人物こそ彼なのだ。

 

 今回、大派閥がこぞって菅支持に回ったのも言わぱその論功行賞、そして閣僚人事はそのお返しだ。

 

 安倍政治は終わったわけではない、何の反省もなく忠実に継承される。労働組合としての闘いは、むしろこれからが正念場だ。


◆「たたき上げ」という虚像の一人歩き


 秋田の貧農の出、高卒で集団就職、働きなからの大学(夜学)生活、地方議員からのたたき上げ、こうした苦労話が盛られている。宰相の孫という「毛並み」の良さが胡散臭くなってきた世間の目には、どれもが美談として伝わり、庶民の気持ちの分かる温厚な人柄が演出される。

 

 しかし事実は異なる。父はイチゴで成功した豪農で町議会副議長まで務めた名士、高卒は事実だが自分の意思で上京、通った大学は夜間ではない。政治家一家の二世三世ばかりとなった政界の中ではたしかに変わった経歴ではあるが、決してどん底を味わってきた苦労人ではない。

 

 もっと言えば、生い立ちそのものは重要ではない。過去の「苦労話」を売りにするのは、「毛並みの良さ」を売りにするのとさほど変わらない。政治家の生い立ちを言うのであれば、自らの過去から何を学んできたか、学びから何を信条として何を目指して政治をするかが重要なのだ。


◆「自助・共助・公助」は政府責任の放棄


 菅首相が掲げたスローガンは、「自助・共助・公助・絆」だ。まずは自分のことは自分で、それが難しいときは家族、地域が面倒を見る。それでもできないことは国がカバーするのだそうだ。

 

 飲み屋の片隅で語られる分には、ごくありきたりの人生論に聞こえるだろう。しかしその説教を、政治を預かる者が言えぱ、まったく違う意味が付与される。

 

 「国」は、属性も境遇も異なる雑多な人たちによって構成される社会だ。政治の役割は、その社会を構成する誰もがより艮く生きていくための仕組みを作っていくことだろう。政治家自らが「自分でがんばれ」と言うことは、そうした仕組み作り、すなわち政治の否定であり、相互扶助あるいはセイフティネットの全否定に他ならない。


◆安倍政治を支え続けた負の7年8月

 

 菅首相は第二次安倍政権発足以来七年八月の間、内閣官房長官を努め、政府報道官として登場してきた。記者会見では「その指摘は全くあたらない」「個別の事案について答えることは控えたい」「全く問題ない。はい、次」といった木で鼻をくくった答弁を連発、諦めずに食い下がる記者を指名しない、時には「あなたの質問には答えない」と露骨に拒否するなど、陰湿な対応が続いた。

 

 最近のTVインタビューでは、アベノミクスは有効求人倍率を上げたと自賛、非正規が増えたのではという指摘には、夫婦合わせた収入は増えているはすと、とんちんかんな答弁。


 森友問題で新たな裁判が起こっていることについても、すでに財務省の調査は終わっている、結論は出ていると切り捨てた。

 

 安倍前首相は、「丁寧に説明する」と口にしても説明することはなかった。「責任を痛感する」と言っても責任をとることはなかった。菅首相も丁寧に説明していくとは言いうか、まったく説明しようとしない。

 

 安倍政権をさらに劣化させた政権がこの社会を壊し尽くす前に、私たちの政治を取り
戻そう。