奮闘する仲間に熱い連帯を! / 全労協新聞 2020年5月号

奮闘する仲間に熱い連帯を! / 全労協新聞 2020年5月号

 


 

医療現場・ライフラインで奮闘する仲間に熱い連帯を!
全国労働組合連絡協議会
議長 渡邉洋

 

毎日、新型コロナウイルスの感染者数が報じられているが、検査体制自体に疑問があり、数字と実態の関係性は不明だ。政府は危機的状況を隠している、いや、危機を煽って強権発動を狙っている、という真逆の言説が飛び交う。

 

政府は緊急事態宣言を発したが、休業要請の範囲で自治体と対立するなど混乱が生じる中、より強いリーダーシップを求める世論も浮上している。改憲に直結しかねない危険な兆候だ。

 

確かなことは、医療崩壊の危機に直面する中、医療労働者が命がけの対応をしていること。ライフライン・物流を支える様々な労働者が現場で奮闘していること。職を失った、失う不安に直面した人びとが無数に存在することだ。


第91回メーデーを巡る葛藤

 

第九一回メーデーは、日本初のメーデー式典から丁度百年目に当たる。記念すべき年であるにも関わらず、新型コロナウイルスの猛威を前にして、各労働団体は相次いで屋外大衆集会を断念した。残念だが、感染拡大のリスクを避けるためにはやむを得ない判断だろう。

 

全労協が参加する日比谷メーデーも、議論の末、屋内の小規模な式典への変更を判断した。式典参加者を大幅に制限し内容も簡素化、時間短縮を図ることとした。

 

それでも、街には在宅勤務の許されない仲間や、仕事を失う恐怖に晒された仲間がいる。メーデーは、そうした仲間に対する連帯のメッセージは絶やしてはならないとの思いから、プラカードを持ってスタンディングを行うこととした。私たちの声はどこまで届くだろうか。


自粛要請という名の強制

 

不要不急の外出自粛に始まり、通勤、各種商業施設や公共施設等にも、様々な自粛要請が発せられている。出歩く人の数は日を追って減少し、街は静まりかえっている。

ウイルスが人から人へと感染していくことを考えれば、社会活動全体を減衰させ、人が接触する機会を大幅に減らすことは当然且つ唯一の方策だろう。そうは理解しても、自粛要請に黙々と従うことへの危うさを感じざるを得ない。

 

人は人と関わり合うことによってはじめて生きていくことができる。人と会わないことは原理的に不可能であり、生きることの否定に直結する。それでも自ら制限を加えざるをえないのであれば、納得のいく説明と、生存を保障するための補償が必要だ。それがなければ強制だ。

 

今の政権には、そうした十分な説明がなく、あっても信頼性が全くない。森友、花見、検事長人事問題の対応を見ても、それは明らかだ。生活保障についても対応は極めて鈍い。唯一前のめりなのが、緊急事態条項に絡む改憲論議だ。自粛要請という言葉から、強制という実態が透けて見える。

 

私たちは自粛それ自体を否定しない。社会的な連帯で病魔に立ち向かうことは必要だ。しかし、自粛の名の下に、不正や差別に対する異議申立や、自らの生存を脅かし尊厳を踏みにじる行為への抗議の声を否定することは、断じて許してはならない。


関東大震災の過ちを繰り返すな

 

一九二三年九月一日、関東地方一帯を襲った巨大地震により、約二百万人が被災、十万人以上が命を落とした。混乱の中、震災犠牲者とは別に、数多くの在日朝鮮人が虐殺された。虐殺の背景には、暴動を起こすなどの流言飛語の拡散があった。この事実を決して忘れてはならない。およそ百年が経った現在、日本の社会は負の歴史から何を学んできたのだろうか。

 

ネット上では様々な流言飛語が飛び交い、一部の政治家や「有識者」がそれを後押しする。米中首脳が、互いに相手国の細菌兵器のせいにするという子供じみた応酬を見せる。こうした言動に馴らされた市民社会では、某国が世界経済を支配するために意図的にウイルスを蔓延させているという陰謀論が拡散する。不安に駆られた人びとの心は、こうしたデマに容易に飛びついてゆく。まるで昔と同じではないか。

 

私たちは、百年前の過ちから何を学んだのだろうか。労働者同士が、職業、雇用形態、国籍や言語、文化の違いを理由に憎しみ合っていれば、日々の職場での闘いはもちろん、ウイルスとの闘いにも勝てない。今こそ、あらゆる差別・分断と闘う労働運動を!