直言 激論
争議を勝利に導いた
あきらめない労働者魂
フジビ闘争は、2012年年九月十四日に富士美術印刷の子会社フジ製版が破産し、全社員を解雇したことから闘いが始まりました。
当該は、東京全労協の仲間であったこと、私が勤務している職場から歩いて二十分程に会社があったことから、人ごとではないとの思いで当初から闘いに参加をしてきました。
一年を過ぎた頃、闘いの強化が議論され、幅広く大衆に訴え支援を広めるために支援共闘会議の結成が持ち上がりました。当時、東京全労協の事務局長もしていたので私なりに地域闘争の重要性に感じていました。そんな中、荒川区労評をはじめ東部地域の組織から幅広く幹事の結集があり、いよいよ議長の選出となったときに私にオファーがきました。職場が近いこともあり、何もためらいもなく引き受けましたが、その後四年間の展開は予想できていませんでした。
支援共闘会議としての様々な取り組みは、どれも印象に残っています。社前での抗議行動に加え、株主や取引先会社に対する要請行動も行いました。公的機関の投資会社と言いながら最後まで要請を全く受付なかった「筆頭株主」だけは許せないですね。こうした行動が会社にダメージを与え、「スラップ訴訟」なる個人攻撃を仕掛けてきたと思います。この「スラップ訴訟」は生涯忘れられない闘いとなりました。そもそも労働組合の活動として行った団体行動が何故に個人行動として問われるのか、こんな卑劣な訴えがまかり通るのか、組合活動の正当性を訴えてきましたが、地裁、高裁、最高裁と連続不当判決で労働者に対する司法の悪態を受けました。
この闘いで私は貴重な体験を得ることになったのです。北九州で行われた労働弁護団の総会で発言し緊急決議を採択してもらったこと、生まれて初めて「記者会見」を司法記者クラブで行ったこと、韓国サンケン労組と国際連帯することができたこと、毎月最高裁に要請を行ったので担当官と顔見知りになってしまったことなど沢山あります。
現場闘争では、雨風に負けない連続座り込み闘争、集会・デモ、中でも最高裁での不当判決が出た時には、今までの最多の結集があり、闘いか怯むどころか、さらに火が付いたことを会社に見せ付けることができました。地元行政機関として、荒川区議会、東京商工会議所荒川支部に要請行動を行った際には、何度も快く受け入れてくれたのも印象に残っています。
裁判では厳しい判決を受けましたが、こうした地域闘争、支援共闘の力が会社を揺るがし和解解決に至り、なによりも、当該の「あきらめない」労働者魂が勝利へと導いたと確信しています。フジビ支援共闘会議は二〇一八年五月二十四日をもって解散しました。フジビ闘争で培った闘いが、全国で闘われている争議の解決に繋かるように、今後も取り組んでいきたいと思います。ともにガンバロウ!!
フジビ支援共闘会議議長
久保 聡