全労協/ 東京全労協辺野古行動派遣団報告 / 全労協新聞 2015年5月号

全労協/ 東京全労協辺野古行動派遣団報告 / 全労協新聞 2015年5月号


全労協
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全労協新聞
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全国で闘われた15春闘

●東京全労協辺野古行動派遣団報告

風は吹いている
広がる支援の声


四月十二日~十四日までの日程で東京全労協辺野古行動派遣団団長として行動に参加した。

辺野古の座り込みテント村では久保東京全労協事務局長が安次富浩さん(ヘリ基地反対協議会共同代表)にカンパを手渡し、その後、キャンプシュワブゲート前に向かった。闘いの場が近づくにつれ心が昂ぶる。現地に着くと、そこには巨大米軍施設とそれを許さぬ人々の怒りのテント村が道路一本挟んで対峙していた。

長屋のように横に広がったテント村は、いわゆる「日よけ」のように作られており、座って集会ができるようなかたちだった。

泊まり込み用のテントは、市販されているものでは無く、旗竿を柱とし、ブルーシートを巧みに使ったお手製のテントであった。中は最大二十人は寝られるということもあり、広々としていて、寝床には支援のものと思われる寝袋が横一列で広げられていて布団などもあり、泊まり込むのに十分な体制がつくられていた。

朝五時半、キャンプシュワブ内からラッパの音色が聞こえ起床。小雨の降る中を「辺野古基地建設反対」というプラカードを持ってゲートの前に集まる。人数は朝駆けつけた行動参加者を含め二十人ほど。キャンプシュワブには「ゲート」「旧ゲート」「第二ゲート」と呼ばれる三つのゲートがある。我々は旧ゲートの前に向かった。

この旧ゲートは、もともとは公道だった部分に「車のドロ落とし」と称した波形の鉄板を敷き詰め、さらに蛇腹のゲートを新設し、その前に民間警備員を配置して公道部分を防衛省が占拠しているという状態だった。そこに六時半ごろ二十台ほどの車が隊列を組んで北側の道路からやってきた。「海保は帰れ!」「防衛省はかえれ!」「海を壊すことに手を貸すな!」と行動参加者から声が上がる。身を挺して車列を止めようとするものいた。車列が停滞すると、「車道確保!」の合図と共に機動隊が行動参加者の排除を始めた。行動参加者と機動隊との間で小競り合いが始まる中、徐々に車が旧ゲート内に入っていく。八時前には車列はほとんど旧ゲート内に吸い込まれ、機動隊の「規制解除!」という合図と共に、ゲートが閉鎖された。その後は、「ゲート」の前に集まり、大城さん(沖縄平和運動センター事務局長)を中心にシュプレヒコールを上げ、『座り込めここへ』を歌い、ぐるぐるとゲート前をデモ行進した。毎朝、この闘いが繰り広げられている。

三日間の行動を通して感じたことは「風は吹いている」ということだ。テント前を走る一般車両がかなりの確率で行動参加者に手を振ってくれる。沖縄県民全体のムーブメントがあるのだと感じた。最終日に会うことが出来た山城博治さんは現在闘病中だ。沖縄と山城さん自身の闘いに共に連帯し、支援していきたいと思う。それにしても、平田さんが持ってきたジュゴンバルーンの人気は凄かった。

(坂本啓太
東京全労協辺野古行動団団長・全統一労組)