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●原水禁広島大会
見て、聞いて
学ぶヒロシマ
あの日の朝、原田さんは列車待ちのため広島駅にいた。原爆が投下されたその瞬間、原田さんは堅牢な駅舎に遮られたため熱線と爆風から逃れることができた。「同じ駅でもどの場所にいたのかによって生死の運命が分かれることを実感した」。「どうして自分だけが生き延びたのかと思い出すこともある」と言う。自身の体験から、無抵抗の市民に対してなぜ核兵器を使うのかと疑問が湧き、核兵器廃絶というヒロシマのメッセージを発信するようになった。第九代広島平和記念資料館館長でもあった原田さんは、参加者に広島平和記念資料館をじっくり見学するよう助言していた。講演の後、複数の学校教諭から、生徒・児童にいかに平和を伝えていくかが難しいといった悩みが寄せられた。原田さんは、核兵器の使用が悲惨な結果をもたらすことを一人一人に持たせるよう雰囲気作りも大切だと丁寧に助言していた。
被爆者の平均年齢が約七九歳となった現在、証言者の声をこの日この場所で聞くことの意義を噛みしめ、職場、地域に戻って共有していきたい。
(藤澤宜史