2014沖縄平和行進報告 / 全労協新聞 2014年6月号 2面から



●2014沖縄平和行進報告

戦争国家めざす安倍政権に
沖縄と連帯して闘い抜こう

今年は、安倍政権が戦争へと前のめりになって、ひたすら「戦争国家」の道を突き進む状況の中で、第三七回5・15沖縄平和行進が実施されました。東京全労協は、沖縄の現地学習会も兼ねた取り組みと位置づけ、全国一般東京労組の「沖縄へ行こう実行委員会」の十五人と共に、五月十五日~十九日の日程で大阪全労協青年部二人を含め二十二人を派遣しました。

十五日、前日入りの久保団長と江田事務局長は、早朝からの普天間基地野嵩ゲート前行動に参加しました。米軍側がフェンスに括り付けた横断幕・のぼり旗を刃物で切断するのを実力阻止しながら「基地撤去!米軍帰れ!オスプレイ帰れ!」と情宣行動を行いました。午後は、全国結団式に参加し平和行進の成功を決意しました。

十六日、派遣団三七人は、辺野古新基地建設予定地で平和行進三コース合同による初めての出発集会に参加し、全体で一一〇〇人が結集しました。集会後、米軍フェンスに「檄布」を括り付け、現地テント村に行き激励と海上視察を行いました。ヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表から、「基地建設は滑走路だけではなく大型戦艦の軍港も造られる、珊瑚やジュゴンの自然破壊、莫大な税金(おもいやり予算)の投入、町の予算は基地が無くてもやっていける事実、沖縄県知事選など今後も粘り強く妥協しない闘いの訴えがされました。また、船に乗った参加者からは、綺麗な珊瑚礁を目の当たりにし基地建設への怒りが増していました。

最後に参加者全員による支援カンパを辺野古と高江のテント村に渡しました。次に嘉数高地に行き、普天間基地を見ながら普天間爆音訴訟団の桃原功宜野湾市議会議員から、ゲート前で出勤する米軍関係者に抗議行動を毎日している。オスプレイは、やらないはずのヘリモードで大爆音を出しながら住宅上空を飛んでいるなどの報告がされました。説明中にオスプレイが数機飛来し、声が聴こえない状況になり参加者は怒りを爆発させていました。

十七日、戦跡の学習・見学として平和祈念堂で広報映画、南風原陸軍病院二十壕・資料館、仲良し地蔵へのお参り(宮森小学校)などを視察し沖縄戦の学習を行いました。南風原では高校生がボランティア活動で当時の「ひめゆり学徒隊」の悲惨な現状を語り続けています。宮森小学校では石川・宮森630会の久高政治事務局長から一九五九年六月三十日に米軍ジェット戦闘機が宮森小学校に墜落炎上し、児童十一人、住民六人が死亡した事故の状況、現在に至るまでの活動経過など報告を受けました。

十八日、平和行進最終日の普天間基地包囲コースに参加しました。宜野湾市役所での出発式の後、宜野湾海浜公園までの南コース(八・二Km)を参加者が交代でシュプレヒコールを行いながら行進しました。今までの晴天から激変し行進途中から豪雨となりましたが参加者は最後まで基地撤去を訴え行進を貫徹しました。


十四時からの県民大会は豪雨のため場所を変更しての開催となりました。約二一〇〇人の参加者は、憲法改悪や米軍・自衛隊基地の強化にあらがい、日米両政府による辺野古新基地建設の強化など「政治の暴力」に強く抗議する大会宣言案を決議し、「戦争国家体制」に突き進む安倍政権を打倒し、脱原発社会や反戦平和の実現をめざして闘い抜くことを確認しました。

東京全労協は、「日米同盟の深化」に断固反対し、「日米安保粉砕!普天間基地即時撤去!辺野古新基地建設反対!高江ヘリパッド建設反対!オスプレイ配備撤回!軍事費を災害復興に!」と東京の地から沖縄県民と連帯して闘い抜いて行きます。

(久保聡東京全労協事務局長)




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