8/13-8/15 反戦・反核 テレビ番組

8/13-8/15 反戦反核 テレビ番組
 


1.


【再放送】8/13(月)深夜 原発について考える2作品

世界各国で議論されている「原子力発電」「核廃棄物」に焦点を当てた
ドキュメンタリー 2作品を、再放送します。
8月14日(火) 午前1時~ 「地下深く 永遠(とわ)に」
8月14日(火) 午前2時~ 「原発労働現場 異常なし?」
原子力発電の過程で生じる廃棄物を、どこに処分するか。
フィンランドで建設されている「オンカロ」という処分場を舞台に、
「安全」な処分場をつくるための試行錯誤やそもそも安全な保管場所はあるのか、を問う。
「地下深く 永遠(とわ)に ~100,000年後の安全~」
原子力発電所で、「安全」よりも「コスト削減」を重視する経営者と
危険性を訴えると解雇されてしまうという現場労働者たちの内情を伝える
原発労働現場 異常なし?」
2作品とも、ヨーロッパで制作された作品ですが
「他人ごと」とは言えないと、気づかされます。


2.


戦場の軍法会議
~処刑された日本兵
67年前の太平洋戦争末期、フィリピンやニューギニアなどの南方戦線で補給が断たれた日本軍に“異常事態”が起きていた。飢えに苦しみ、食糧を求めてジャングルをさまよった日本兵たちが、部隊を勝手に離れたとして「逃亡罪」で次々に拘束され、処刑されたのだ。しかし、当時の記録は、ほとんどが軍によって焼却されたため、その詳細は今まで明らかになってこなかった。
今回NHKでは、その内実に迫る貴重な資料を入手した。戦場で開かれた特設の「軍法会議」で兵士たちを実際に裁いた軍の元法務官が、密かに残した内部文書と14時間に及ぶインタビュー・テープである。兵士たちは、なぜ処刑されたのか。そこで語られていた元法務官の証言は、衝撃的だ。
軍紀を守るために厳罰を科し“見せしめ”を求めた軍上層部の意向で、本来なら死刑にならない罪でも兵士を処刑した、というのである。「法の番人」であるはずだった法務官たちは、なぜ、軍の上層部に抵抗し続けることができなかったのか。戦場で行われた軍法会議の実態を、ひとりの法務官の軌跡を追うことで明らかにし、戦争の罪を見つめる。


3.


終戦
なぜ早く決められなかったのか

敗戦から67年を迎える太平洋戦争。その犠牲者が急激に増加したのは、戦争末期だった。勝敗はとっくに決していたにもかかわらず、なぜもっと早く戦争を終えることができなかったのか。当時の日本の国家指導者の行動や判断には、多くの謎や不可解な点が残されている。今回NHKは研究者の共同調査で、戦争末期の日本の終戦工作を伝える大量の未公開資料を、英国の公文書館などから発見した。それらによると、日本はソ連の対日参戦を早い時期から察知しながらソ連に接近していたこと。また、強硬に戦争継続を訴えていた軍が、内心では米軍との本土決戦能力を不十分と認識し、戦争の早期終結の道を探ろうとしていたことがわかってきた。1日でも早く戦いを終える素地は充分に出そろっていながら、そのチャンスは活かされていなかったのである。番組では、戦後に収録されながら内容が公開されてこなかった当事者らの肉声証言なども検証し、重要な情報が誰から誰に伝えられ、誰には伝えられなかったのかを徹底分析。国家存亡の危機を前にしながらも、自己の権限の中に逃避し、決定責任を回避しあっていた指導者の実態を浮かび上がらせる。国家的な岐路における重要な決定をめぐる課題について、識者討論なども交えて考えいく。


4.


8月15日放送
© 2008「私は貝になりたい」製作委員会
 
終戦の日である8月15日は、戦争の悲惨さを描いた名作「私は貝になりたい」を地上波で初めて放送する。
徴兵という形で戦争に巻き込まれた一市民・豊松が、終戦後に戦犯として罪に問われ、不条理な裁判を戦っていく。
TVドラマの金字塔と名高い第1作目から50年の時を経て、3度目のリメイクとなる今作。一度書き上げた脚本には2度と手を加えないことがポリシーの脚本家・橋本忍が、生涯初のリライトを施した、言わば「完全版」だ。
物語の象徴的な意味を持つ美しい海とそれを望む崖は、監督が日本中の海岸線を探し回って見つけ出した。
妥協を許さない姿勢のもと、ほぼ1年に及ぶ撮影で真摯に作り上げられた名作。そのあまりに切ない結末から、今一度戦争というものに思いを馳せて頂きたい。

[内容]
高知県のとある漁港町で、清水豊松(中居正広)は苦労の末に理髪店を開業した。決して豊かではないが、妻の房江(仲間由紀恵)、一人息子の健一(加藤翼)と共に暮らして行ける見通しが立った、そんな矢先。戦争が激しさを増し、豊松に召集令状が届く。配属されたのは、本土防衛のために編成された中部軍。豊松はそこで上官からあまりに過酷な命令を受ける。
やがて終戦が訪れ、豊松はやっとの思いで家族のもとへと帰り着く。以前のような平和な生活が戻ってきたかに思えた。しかしそれも束の間。豊松は突然やってきたミリタリーポリスに「戦犯」として逮捕されてしまう。
それから豊松を待ち受けていたのは、裁判の日々だった。必死に無実を訴える豊松。しかし占領軍による裁判では、旧日本軍において上官の命令がいかに絶対であったかなど理解されようがない。そして、豊松には極めて重い判決が下る。
豊松は同房の囚人たちと共に、アメリカ大統領に向けて減刑の嘆願を始めた。房江は、来る日も来る日も嘆願書の署名を集め続けた。やがて結ばれる講和条約で釈放されると信じて。


 
(F)