3・11さようなら原発 福島県民集会に一万六千人   全労協新聞 2012年4月号 3面4面

全労協脱原発プロジェクト
 3・11さようなら原発 福島県民集会に一万六千人
 
全労協新聞 2012年4月号 3面4面
 

 
1.静岡県共闘 浜岡原発永久停止の旗を
2.ユニオン北九州 福島の訴えに涙
3.三多摩全労協 脱原発訴えデモ
4.京都で脱原発行動
 


全労協脱原発プロジェクト
 
3・11さようなら原発
福島県民集会に一万六千人
 


 
静岡県共闘

浜岡原発永久停止の旗を
 
 
東日本大震災福島原発事故一周年「原発いらない!3・11福島県民大集会」に静岡から参加した。静岡からの参加は、「浜岡原発を考える静岡ネットワーク」、「静岡県労働組合共闘会議」を中心とした三五人。また、この集会に間に合うようにと新調した「浜岡原発永久停止・廃炉へ」の幟旗がデビューを飾った。福島の思いは全国の思い……私たちも、静岡の地で奮闘することにより、福島そして全国の皆さんと連携して、原発のない社会を目指す決意をあらたにした。

(増田和明)
 


 
●ユニオン北九州

福島の訴えに涙
 
 
三月十日いわき市から広野へと向かい、翌十一日県民集会に参加しました。

原発の見返りという豪華な広野小学校の時計の止まった誰もいない校舎を見ました。

そして翌日の県民集会での六人の方々の訴えを聞きました。

高校生、農業、漁業、飯館村の方の話はじっと座って聞いてられませんでした。最後に立った浪江町の老婦人は、ちょうど自分の母と同じくらいの人でしたが、「私は満州で、そして浪江でまた国に捨てられた」という訴えには、涙が思わずこぼれました。

私たちは、長時間・低賃金の過酷な労働条件と日々闘っていますが、人間の権利を侵す原発の姿を改めて確認しました。

過酷な労働現場から、それでも社会を変える労働運動へと自らを押し上げて行くことを福島は、決意させました。九州の運動もがんばります。
(本村真)
 



脱原発訴えデモ
 
 
東京三多摩地域では、一九九七年頃から三多摩全労協の枠を超えて、春闘時期のデモを立川で開催しています。
昨年は、デモの当日に東日本大震災が発生し、中止せざるを得ませんでした。
昨年の三月十一日は前日までは毎年のデモをする日でしたが、この日を境に放射能が飛び散り、命の問題が深刻さを増した日になりました。それで今年のスローガンは「NO MORE NUKE!新しいエネルギー政策へチェンジ!賃金格差を無くし、人権を守る春闘を築き上げよう!」として、被災地からの報告と闘いの講演を受けた後にデモに出発しました。大企業の利益の前に、労働者の生活と権利、多くの人の生活が犠牲になっている現実に、声を上げるためのデモです。
また、デモの前に、地域の労働組合オルグ回りをする、チラシ配布を行う行動も毎年積み重ねています。
他所の組合を訪問したり、他の組合の人と要請に回ると、自分たちの職場の「常識」との違いが見えてきたり、思い描く目指すべき労働組合イメージが膨らんだりします。新しい、若い組合員に共闘運動に参加してもらう一歩としても、春闘の行動は大切です。
 
 


 
●京都で脱原発行動
高浜原発至近の京都北部で脱原発集会
 
 
三月十一日、福井県に隣接し、高浜原発から約十キロの舞鶴市内で「原発ゼロアクションin舞鶴」が開かれ、一二〇〇人の参加で初の脱原発大衆集会として成功した。

原発労働者も多い土地柄、大規模な集会開催まで一年が経過した。呼びかけ人の吉本晴樹弁護士は、舞鶴湾をバックにした強風吹きすさぶ屋外会場で、地元で原発事故を想定した避難訓練が行われたことなどもふれながら、「危険ならば原発をとめるべきだ。きょう集まったみなさん一人一人のやり方で、思い思いに訴えていこう」と主催者挨拶。
久美浜町(現、京丹後市)の岡下宗男さんなどが発言し、四十年来の闘いで久美浜原発を阻止しきった先輩たちの闘いに、参加した若者や若いお母さんたちは感激した。
参加者らは黙祷のあと、東舞鶴駅まで三コースに別れデモ行進した。
 
◆  ◆  ◆

これに先立つ十日には、「バイバイ原発3・10京都」が京都市・円山野外音楽堂と円山公園一帯で開かれ、野音会場には入れず参加者六千人を超えると報じた新聞もあった。
集会では、京都大原子炉実験所助教授の小出裕章さんが、「個性を発揮して運動し、原発を廃絶に。この空がつながっている福島では放射能で大地が汚されている」と挨拶。女子高校生らのグループ「制服向上委員会」も登場し、「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を披露した。

集会の呼びかけ人の長谷川羽衣子さんは「脱原発を成し遂げ、再生可能エネルギー中心の社会を実現するということで、心をひとつにする」との決議を提案し採択された。

福島市から京都市へ二歳の長女と避難している西山祐子さんや、被災県から他府県に避難している人たちと交流しているという大学生なども公園での発言コーナーで訴え。終了後、解散地点まで出発地からデモが途切れないという、都大路を埋め尽くした市民へのアピールが実現した。

(稲村守京都総評事務局次長)
 
 
(F)