全労協脱原発プロジェクト 全労協新聞 2011年12月号 3面

全労協新聞 2011年12月号 3面
 
全労協新聞


昨日に続いて
全労協脱原発プロジェクトの記事2本


 1.

静岡県共闘

議員の意識を
さようなら原発
 
 3・11から九ヵ月、年が変わろうとしているが、依然として福島の原発震災の行方は不明だ。浜岡原発は五月十四日以来停機し、四月・五月頃の県民の意識から原発に対する意識は低下してきたように感ずる。それでも現状は、反・脱原発の世論は圧倒的である。ところが、上にいくほど、すなわち国会に近づくほどあたかも原発震災はもう峠を越したかのように、被災地はもとより国民の原発に対する恐怖など知らぬかのような動きである。なんとしても原発再稼働をと、あらゆる手を打ち、原子力ムラの再興を画策し、野田政権は原発の輸出すら狙っているのである。私たちは、高揚している反・脱原発の世論を背景に、これを持続させ、さらには強固な世論を造りあげるために全力を出し切らなければならない。

 静岡県共闘は、「さよなら原発一〇〇〇万人アクション」を基本に据え、市民運動体である、「浜岡原発を考える静岡ネットワーク」と共同で、一〇〇〇万署名運動に取り組んでいるが、もちろんこれだけでは不十分で、地方議会に向けての請願・陳情を行い、浜岡原発廃炉・永久停止の決議・意見書の採択を勝ち取り地方議員の意識を「さよなら原発」に転換させねばならない。そして次ぎに地元国会議員に働きかけを行おうとしている。

 浜岡原発の周辺四市の一つ、牧之原市では九月議会で、すでに「浜岡原発永久停止」の決議をあげ、全国にも大きく報道され、原発推進派に衝撃を与えた。静岡県知事もこの決議に理解を示し、この決議に続いて他の市町議会でも意見書の採択がなされている。湖西市長は、自ら原発裁判の原告となった。原発裁判は、いままで勝ったことはなかった。なにしろ原子力ムラには裁判官までも入っていたのだから。しかし、3・11裁判を取り巻く状況は一変した。浜岡原発をめぐっては、東京高裁、静岡地裁静岡地裁浜松支部で、三件が争われ、法廷での闘いも重要性を増している。
 我々は権力を握ってはいない。原発を無くすためには並大抵の努力ではこの闘いに勝つことではできない。あらゆる手段を駆使し、推進派を抱囲し、切り崩していかねばならない。

 
静岡県共闘 鈴木卓馬)
 
浜岡原発を考える静岡ネットワーク (浜ネット)


 
浜岡原子力発電所に関する決議を可決(平成23年9月定例会)
 
 
浜岡原子力発電所に関する決議
 
 東日本大震災における東京電力福島第一原子力発電所事故は、国でいうところの「原子力発電は安全である(止める・冷やす・閉じ込める)」という神話が根底から崩れ去り、我々に大きな衝撃を与えた。事故から半年が経過しても、いまだに事故原因はもとより事故の全容も掴めず、事態の収束については目処もつかない状況である。
 福島第一原子力発電所の周辺地域では、多くの住民が避難を余儀なくされ、自宅に戻ることもままならず、職や財産を失い、家族とも離散し、長き年月をかけて築いてきた文化や歴史、住民コミュニティは、すべて崩壊してしまった。
 また、放射性物質による汚染も、内部被爆等により将来を担う子供たちへの健康被害の影響が非常に心配されているところであり、農畜産物の出荷や企業活動などについても、地元はもとより全国各地で深刻な影響を及ぼしている。牧之原市においても、基幹産業である茶葉から放射性物質が検出され風評被害を含め甚大な被害を受けたところである。
 本来、一度の間違いも許されない原子力発電であるにもかかわらず、このような重大事故が発生した事実を鑑みれば、我々は、まず第一に市民の生命・財産を守っていくことを考えなければならない。
 そのためには、近い将来間違いなく起こるとされている東海地震震源域真上に立地している浜岡原子力発電所は、確実な安全・安心が将来にわたって担保されない限り、永久停止にすべきである。
 以上、決議する。
 
 平成23年9月26日
 


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東京電力にむけて“原発はいらない”とデモ(10月29日)


 
 
2.

原発はいらない福島の女たち
 
三日間で三〇〇〇人参加
脱原発は生存そのもの
 
 「原発いらない福島の女たち」は、これほどの苦しみや犠牲に学ぶことをせず、なおも原発推進をはかる政府や電力会社に対し、「もう黙っていられない。女たちは立ち上がり、そして座り込む」を合言葉に、「原発はやめて」と、切なる思いで起こしたアクションでした。「どうやって一〇〇人集めよう」「右翼の挑発には乗っちゃだめ」とか、不安はいっぱいでした。〈福島の女たち一〇〇人〉のはずが、想像すら出来なかった光景となり、私達は感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 十月二十七日からの三日間で名簿者数は二三七一人。歌い、語り、座り込み、思いを込めて毛糸を編み、細い糸は太い鎖となって経産省を取り囲みました。要請行動では、(1)すべての原発の停止・廃炉(2)停止中原発の再稼働禁止(3)子どもの避難・疎開と損害補償(4)電源三法の廃止。を、官僚達に訴えました。最終日には、一〇〇〇人が銀座をデモ行進し、東京都民にありったけの思いを訴えました。シュプレヒコールを繰り返すたび、元に戻らない故郷を思い、未来を奪われた子供や若者を思い、悔しさで涙が止まりませんでした。日比谷公園噴水前で廃炉に向け共に行動することを誓い合い、全国の女たちに行動をバトンタッチしました。三日間の参加者は延べ三〇〇〇人を超えたと報告されています。

 政府は、第三次補正予算で医療特区を儲け、一〇〇億円を投入しようとしています。政府に問いたい。「なぜそれを防護や検診のために使わないのか」と。事故後に見えたのは、命でさえ格好の餌食でしかないこと。原発政策は植民地政策そのものだったこと。今の構造のまま復興が進めば、植民地化はさらに進むということ。除染、解除、冷温停止、復興。これらの言葉がキーワードとなり、人々の意識から〈放射能〉が消えようとしています。
 疎開裁判は『生存権』を放棄しない私達の意志であり、私達にとっての『脱原発』は生存そのものです。
 
(宮城合同労組 佐藤昌子)


 
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