国鉄「分割・民営化」から30年 / 全労協新聞 2017年3月号

国鉄「分割・民営化」から30年 / 全労協新聞 2017年3月号


全労協
http://www.zenrokyo.org/

全労協新聞
http://www.zenrokyo.org/simbun/sinbun.htm
より



国鉄「分割・民営化」から30年

30年は差別との闘いの歴史

働く者の総団結で、労働運動の再構築を目指す



 ちょうど三十年前の一九八七年二月十六日~十八日にかけて、当時の国鉄職員に対し人生の岐路を突きつけて選択をせまり、このまま資本の「言うかままに従う」のか、それよりも「おかしいことは、おかしいと言える」生き方を選ぶのかと選別・差別をされたのです。当時国鉄には、二一万九、三四〇人がJR新会社を希望しましたが、採用される枠が二一万五、〇〇〇人と希望者全員が採用される道ではありませんでした。少なくとも四三〇〇人余りは、枠かりはみ出ることが明らかであり特に、北海道と九州に多く在籍していたのです。ここで「採用通知」が全職員に対し・行われ、希望する会社へ行ける者と第二希望・第三希望の行きたくないけど行かざるを得ない者、そして希望する会社へ行けない者でした。

 当日の職場の中では、家族に喜びを伝える者、うれしいけど喜べない者、新しい生活に対する不安と悲観をする者、また新会社を希望しなかった者が三万一、四七六人と国鉄職員の大きな岐路となった日であります。

 私たちは、この二月十六日からの「国家的不当労働行為との闘い」が始まり採用差別を受けた再就職先未定職員は、全国の一三一所一三派出で清算事業団雇用対策支所に配属をされました。一方、JR本体に採用された組合員をはじめ、依然として国労つぶし攻撃か、弱まることなく続いていました。われわれは、この労働組合潰しやこの執拗な団結破壊攻撃をはねのけて、組織を維持し、「解雇撤回・職場復帰」の闘いを続けていく選択肢を選んだのです。

 三年後の一九九〇年三月三十一日、一、〇四七人が「二度目の解雇通告」を受けて以降、自活体制の確立と組合員の力ンパ、さらには各地での事業体の設立などが進められ、支援活動の構築がなされ、労組オルク宣伝・集会など、大衆行動が取り組まれ支援共闘の仲間をはじめ多くの「働く者か結集」していたのです。

 しかし、闘いは常に敵の分断攻撃の繰り返しの中で、組織の内部対立・混乱から団結の切り崩しにあいなからも、共闘の仲間と共に新たに次の展開を切り開く闘いをつくり最終的な解決の出□は一つと「四者四団体」か再結集により政治的な解決を勝ち取ることに繋がってきたのです。


差別を許さない
仲間を裏切らない



 この闘いは自己第一主義ではなく、排除の論理でもなく、お互いの意見の違いを真摯に議論を尽くし、闘うことでの解決の道を切り開く選択をしたのです。この政治的な解決にあたり労働団体や政党・議員をはじめ多くの民主団体などが「人道的な解決」を求めて、政治を動かすまでの「力」にできた結果でもありました。

 私たちの闘いは常に幹部請負闘争、指令指示待ちの運動になりがちであります。闘いに自らが主体的に目的意識を持ち立ち上かる、そして運動の展開と総括を繰り返し、仲間との議論を尽くし、「解雇撤回・一人の首切りも許さない闘い」を各地で続けたことであります。国鉄闘争の過程で二〇〇人を超える自殺者と多くの仲間を失いながらも闘い、自信と確信を持ち「仲間を大切にする・仲間を裏切らない」この言葉があったと思います。闘争団員当事者はもちろん、家族も支え地域や町ぐるみでの闘いを展開してきたからでもあります。

 JRとなって三十年は、まさに差別との闘いの歴史でもあります。「おかしいことは、おかしいと言い続ける」運動こそ、今求められています。「格差と貧困」の拡大に対して「終止符」を打つ運動にしなけれぱなりません。

 この現状をもう一度「働く者の総団結」で変えていくことを目指す課題であると思います。敵の分断攻撃は、止むことなく日増しに強くなり形を変え場所を変えての攻撃であります。これを働く者があらゆる手法を使い総団結することで大きな力となること、そして「闘って解決させる」ことこそが私たちの教訓であります。もう一度、その原点に立ち労働運動の再構築を目指していきたいと思います。