全労協/ 他者の犠牲で成り立つ 社会構造の転換を / 全労協新聞 2015年4月号

全労協/ 他者の犠牲で成り立つ 社会構造の転換を / 全労協新聞 2015年4月号


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コラム
疾風

他者の犠牲で成り立つ
社会構造の転換を

全労協常任幹事
平澤勝

二〇一一年三月十一日未曾有の東日本大震災の発災から四年目を迎えた。被災地住民の七一%が「国民の話題から震災が風化」していることを懸念している。東北三県で二二万人の避難者、福島第一原発震災では十二万人の人々が避難生活を余儀なくされ困難な生活を強いられているが、将来の生活再建に希望を捨てずに生き抜いている。

とりわけ、福島第一原発メルトスルーに至る過酷事故は、立地自治体周辺住民はおろか半径二五〇㎞まで放射能汚染が拡大する事態となった。

原発安全神話を吹き飛ばすこの事態は、多くの国民に原発NO!を意識させる衝撃的事故となった。この事故以来、日本はこの二年間、実質的に原発なしで社会経済活動が展開されてきた。つまり、原発が動かなくてもエネルギーは足りているということである。政府や財界はこの事実を百も知りながら、今や鹿児島県川内原発の再稼働に突き進む状況にある。

福島第一・第二原発は、そもそも東京を始めとする首都圏に電気を送る目的で建設された。首都圏に生活し暮らす人々へのエネルギーを生み出すために造られたのだ。原発が未来永劫に安全であるならば、「東京湾」に造ればよかったのである。しかし残念ながら、全国の原発は地方の過疎地に巨額な電源交付金をアメにして強引に建設させてきた歴史である。日本の労働運動がこれを許してきたことを総括すべきである。そして、原発建設の歴史そのものを問い直し、時代の転換を目指す戦略と運動路線の確立が求められている。福島原発事故は、福島県と周辺の人々の生活を数十年間、数百年間という将来に渡り奪うもの、一切の犠牲を押し付ける以外のなにものでもない。故郷の森林、田畑、河川・湖沼の自然の恵みを奪うものである。そこには人間だけでなく、あらゆる動植物が生きられない世界の現出である。福島県の人々の痛みと苦悩を共有し寄り添い、人々への支援が今こそ求められているときはない。

首都圏で「電気エネルギーの恩恵」を受けてきた我々都会の労働者・市民は、福島県の人々の犠牲により、現在の生活があることを考えなければならない。すなわち、日本の社会構造は他者の犠牲で成り立つと認識しなければならない。原発メルトダウン過酷事故という、かって経験したことのない未知の領域に入ったこの社会は、事故によって、福島県を始め多くの人々・子子孫孫まで続く世代に多大な影響を及ぼそうとしている。原発事故は、周辺に住む人々のすべてを奪い尽くすものである。そうであるなら、日本からすべての原発廃炉にすべく立ち上がる時である。

現代に生きる我々は、昨年五月の大飯原発運転差し止め訴訟判決に通底する、田中正造の「真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」の言葉をかみしめ、首都圏に生きる労働者として脱原発社会の実現のために、闘う労働戦線の再構築に奮闘しなくてはならない。