全労協/ 東京全労協交流合宿in足尾 / 全労協新聞 2014年10月号

全労協東京全労協交流合宿in足尾 / 全労協新聞 2014年10月号





●東京全労協交流合宿in足尾

心して歩けば過去と現在を
つなぐ真実が見えてくる



 九月六日~七日東京全労協が主催する「交流合宿in足尾」が三六人の参加で行われた。東京全労協は、毎年現地フィールドワークをおこなっているが、今年は「反公害闘争の原点」と言われている栃木県日光市足尾に行った。

 足尾鉱毒事件田中正造記念館では、副館長さんから鉱毒事件の詳細な説明があった。渡良瀬川下流域では、雨が降ると鉱毒によって禿山となった山から土砂が流れ込み、田畑を土砂と鉱毒が覆い尽くしたこと。坑内で働く人たちは「よろけ」(珪肺病)によって苦しめられ、幼い子供たちは次々と死に母親の母乳も鉱毒に侵されていたこと。こうした中で、明治の封建制度が色濃く残る時代に女性たちは子供と母親のためにカンパを集め、「女押し出し」を行ったこと。当時の学者たちが「健康被害鉱毒のせいではない」ということに対して、真実を科学的な根拠をもって突きつけたことなどの説明があった。まさに、今福島で起きていることと同じようなことが、一〇〇年以上前にも起きていたこと、田中正造の事業はまだ終わっていないことを実感した。

 足尾銅山は、日本の近代化に大きな役割を果たした。そして、この銅山の採掘、製錬事業の過程で発明された技術や鉱毒や亜硫酸ガスを取り除く技術は今後も日本の工業にとって員重な財産になるであろう。また、古河は、労働者を集めるために、住まいを提供し、家の修繕、電気代・水道代も無料にした。日本初の生活協同組合も作られたという。

 こうした財産も「うかと見れば普通の原野なり、涙をもって見れば地獄の餓鬼のみ」(田中正造)というように心してみなければ見えないものがある。

 鉱毒問題はもとより、戦時中においてこの鉱山には中国人一五七人、朝鮮人二四一六人、欧米人捕虜四〇〇人が働いていた。多くは強制連行され、日本人の約七五%以下の賃金と病気で休むこともできない過酷な労働と管理体制の下で働かさていた。私たちの宿泊した「かじか荘」のすぐそばには「中国人受難烈士慰霊塔」があり見学した。

 また鉱山労働者たちは、労働組合を作り、一九〇七年には大争議を起こし、その後も待遇改善、首切り反対の闘争を古河側の懐柔工作に逢いながら闘った。敗戦後は、中国人・朝鮮人労働者たちがいち早く責任を追及する闘いに立ち上がっている。

 鉱山で利益を得ている者たちには労働者も含めて、自分たちの生産物が川の下流の人たちを苦しめていることを知ろうとしない。また、共に働く者たちの過酷な現実を知ろうとしない。おなじようなことが、今日本で、そして労働現場で起きているのではないだろうか? 渡良瀬渓谷鉄道から見る自然を眺めながらそんなことを考えながら今回のツアーを終えた。

(藤村妙子 南部全労協大田区職労)