全労協/ 辺野古キャンプシュワブ座り込み / 全労協新聞 2014年10月号

全労協辺野古キャンプシュワブ座り込み / 全労協新聞 2014年10月号



辺野古キャンプシュワブ座り込み

新基地阻止に向け
勇気づけられた行動


八月一日から五日、辺野古とキャンプシュワブゲート前の座り込みに参加しました。東京労組全労の三田さんと一緒に毎朝八時から午後五時まで、座ったお尻が焼かれるような熱さでした。大浦湾埋め立てのボーリング調査用機材を積んだ大型ダンプ、コンクリートミキサー車が次々に基地内に入るのを、その度に立ちふさがり車を止めるためです。

子供からお年寄りまで一二〇人くらいの人々で、ひときわ体を張って車両の進入を止めていたのがお年寄りたちでした。十トンダンプの大きい前バンパーにしがみついても、ダンプはぐいぐいと進んできました。「私はもう八〇歳だ。死んでもかまわない。絶対に通さないぞー!」大変勇気付けられました。新聞には、あるお年寄りが「ただ戦争を生き延びてきたのではない。戦争の血をのんで生きてきたのだ」と、地上戦の苦しみ悲しみを語り、今、戦争に反対しています。

キャンプシュワブのゲート前には、「殺人鉄板」と名づけられた、とがった三角のぎざぎざの鉄板が敷き詰められ、ゲート前の通行を妨害し、座り込みには恐怖を与えています。子供たちも参加してくると、ゲート前の円陣デモでは、盛んに「ガードマンは手を出すな!、機動隊は必要ないぞ!」と、警察とガードマンに激しく警告し、やってきたダンプカーには、デモが終わるまで基地内への進入を抑えました。ゲート奥には、青い機動隊バスが三台、「人間ゲート」として三〇人のガードマンを前面に立たせています。

日ごとに参加者が増えています。日よけのブルーシートを基地フェンスに沿って五〇mほど、毎朝、旗ざおを支柱にして覆いを作り、夕方には毎日撤去していましたが、だんだん人が増えた分だけ足りくなり、つけ足しました。おとなりには読谷村から老婦人が二人座っていました。おにぎり持参できていて、「東京に帰ったらみんなに伝えてください」としっかりとおっしゃいました。

沖縄県世論調査では反対が八〇%に上昇しています。八月二十三日にはキャンプシュワブゲート前に三、六〇〇人、九月二十日辺野古の浜には五、五〇〇人が集まりボーリング調査・埋め立て反対の声を上げました。沖縄各地からバスを仕立てて、バスの出発地点が十箇所にもなっていました。十一月の沖縄県知事選にまっしぐらに向って、辺野古の闘いはその最先頭です。暴力ガードマンとなった海上保安官はもう海の暴力ガードマンとなって、法律の裏づけのない拘束を繰り返しています。今回の参加は私たちを大いに勇気付け、普天間基地去、新基地建設・埋め立てを阻止できると実感しました。

(平田一郎 東京労組杏林分会)