全労協女性委員会交流合宿in郡山・いわき・ 参加報告記




全労協女性委員会交流合宿in郡山・いわき・ 参加報告記

 2013年11月3-4日と、全労協女性員会の福島スタディーツァーに参加してきました。11月6日に介護労組の分会結成を前に、何かと忙しい中、憲法集会だけゴメンナサイしたら空いている!と、後先考えず申し込みをしてしまいました。

 均等待遇運動などで馴染みの方もいるのですが、全労協女性委員会の活動に参加するのは初めて。ですが、震災と福島事故から2年7ヶ月、現地に行って交流したいと思っていた矢先でした。また、福島の第二次訴訟・原告団の一員になっているのですが、何もできていないままに棄却されたという悔いもあり…。そんな気持ちに後押しされ、福島まで行くことになりました。情報提供と交通費の援助をしてくださった大阪全労協には大感謝。


 ■今の福島を駆け抜ける過密スケジュール■


 たった1日半ほどの間に、福島のいろんな声を聞こうと過密スケジュールが組まれていました。車・バスで案内してくださったのは、福島連帯ユニオンの皆さん。争議に、反原発闘争に、地元の諸活動に忙しいのに、貴重な2日間をコーディネートしてくださり、ホントにありがとうございました。まずスケジュールを紹介します。

<11月3日>
 13:30~ 3aアクション訪問
 14:30~ 多田野ポケットファーム訪問交流
 16:00~ 交流会in郡山
 東横イン郡山にて宿泊

<11月4日>
 9:30~  マイクロにて富岡や楢葉など、立ち入り禁止区域や警戒区域
 14:00  四倉にて昼食
 15:00~ いわき中央台仮設  交流会
 17:00  いわき駅にて解散 


■子どもたちを守りたい!ふるさとを取り戻したい!■


 最初の訪問は、3a!郡山。放射能の危険から子どもたちを守りたい、と思うお母さんたちの井戸端会議からスタートした小さな団体です。

 福島の線量は、暮らしを脅かすほど、充分に高い!なのに、不安を口にすることが、はばかられる雰囲気が漂っているとのこと。

 政府や御用機関・学者の安全宣言に逆らうのか!という感じでしょうか。


 写真で女性委員会の柚木さんが手にしているのは、ガラスバッジ。これで線量をみることができます。除染が行なわれても、放射線物質は日々ふりそそぎ、山や木々に積もり、雨が降れば地上へと落ちてきます。雨の翌日の線量は、とても高いとのこと。それでも、この地で生きていかなければいけない。なので、お母さんたちを中心に様々な活動が行なわれています。

 ガラスバッジをすべての子どもたちへ。できれば、その時の放射線値だけでなく蓄積量がわかるモノがほしい、とのこと。


 食べ物にどれ位の放射性物質が含まれているのか知りたい、と、主婦たちによる放射能市民測定所が開設されています。「カタログハウス」から「食品微量放射能測定機」を寄付してもらったとのこと。

 奈良の農民連の支援で、毎週火曜日、安心野菜販売会も。この日に井戸端会議で不安を打ち明けあったり、情報を交換したり。

 自転車での市内主要箇所の計測もしています。今までに8回。延べ112人のボランティアが測定機を持って、市内を走り回り、高い数値であることを明らかにしました。

 放射能の恐怖のないところへ保養の送り出しもしていますが、現実を見る怖さから「保養」という言葉に嫌悪感を抱く人もおり、「自然体験」と言い換えたりしているそうです。

 政府が安全宣言をゴリ押ししている中で、こんな難しい住民感情が生まれていることを知りました。危険なんだよ、暮らすのにはリスクが付きまとう地になったんだよ、と政策として明確にして欲しい。こんな声を感じ取れました。その声は原発被災地に近づくに連れ、さらにハッキリとしていきます。


■良い野菜を作ろうと努力した農民ほどダメージは大きい■


 次に行ったのは、郡山市郊外・多田野にあるポケットファームです。


 広場に建てられたプレハブの前にも中にも、いろんな野菜がいっぱい。関西ではなかなか買えない立派な地元野菜が、とても安い値段で所狭しと並んでいます。たくさんの方が、車で買いに来ていました。

 ここの方たちは、農薬を使わない有機農法を、土作りからやってきた農民女性たちです。放射能物質は、どの土の上にも降り注ぎ、やっと軌道に乗り始めた有機野菜たちは、いっぺんに売れなくなってしまいました。福島事故後は、その前に比べ、売り上げが10分の一に落ちてしまったそうです。

 政府からの補助金は、農協に加盟していない彼女たちには下りません。なんど絶望したか分からない、仲間がいなければ生きていくこともできなかった、と話してくださいました。

 直売所を開き、個人別農作物測定結果書を作り、安全性をアピールしながら、まだまだ大変なことはイッパイあるけれど、頑張ってやっています、と話してくださいました。


ご馳走になった福島の郷土料理        


販売所の野菜たち


農作物の放射能測定結果書の棚



■福島の原発関連の諸団体との交流in郡山■


 福島の教組会館にて、今回の全労協女性委員会のスタディツァーによる交流会が行なわれました。ホントに色々の分野の方たちが、現場からの声を持って参加くださいました。全部は報告しきれないので、聞き取れた概要だけ報告します。

▼鮎川村の焼却場問題

 国は、原発事故による放射能ゴミの処理のため、周辺の市町村に焼却炉(高濃度放射性廃棄物焼却処分場)を作る計画を進めている。豊富な水と豊かな自然の鮎川村が、モデル事業対象地となっている。住民には知らされず、法の規制を受けない「危険な施設」によって、またもや住民は犠牲にされようとしている。

 モデル事業は、わずか9日目で爆発して破たん。けれど、地元住民にも、消防署、警察署にも通知はなかった。山本太郎議員により各省庁に質問書を出してもらうも、「国家公務員法100条(守秘義務)で答えられない」(厚生労働省)、小馬鹿にしたような答弁書環境省)。なのに、住民を置いたまま、「除染と帰還と廃棄物処理」が、今も加速度的に進められている。

 

大熊町女性の会

 住んでいるのは大熊と双葉の間。線量が高いところ。国は帰れというが、帰還などできないし、中間施設も焼却処分所も受け入れたくない。

 原発は、東電には責任取れない。国営企業化すべき。除染も、労働者を公務員扱いにしないと、今も将来も無責任だ。

 ▼大熊町を考える除染の会

元は札幌にいたが、仕事がなく、市よりの除染委託に派遣労働者として働いた。除染はしても意味がない。原発を何とかしてからでないとイタチごっこだ。

除染は第6次・第7次下請けまであって、儲かるのはゼネコン等、上の方だけ。上から順番にピンはねするから第6次になると業者も儲からない。ヒドイところは、日給2000円で最賃以下、労災・雇用・社会保険なし。朝5時に出て帰宅は19時。低賃金で、人も集まらない。

 ▼富岡町からの避難者

 2012年3月まで、第一原発から8Kmのところにいた。事故後、市役所では0.04マイクロシーベルトと言っていたが、実際は8マイクロシーベルトだった。11月に航空モニタリングで避難地域となった。2年7ヶ月離れていると、もう他人の家だ。住める状態ではなくなっている

人口1万5000人の富岡町では、帰りたい14%、戻らない46%、判断つかない30%。なのに政府は、住民無視で戻そうとしている。線量も高く、水道なども止まり、もはや人生設計がたたない。

 

▼告訴団

 郡山は地盤が硬いと言われていたにも関わらず大被害を受けた。避難者は1万人以上。政府の放射能対策は、極めていい加減。

 そんな中、2011年に告訴団を結成した。卑劣なことに、検察審査会を福島から東京へと移し、棄却した。自民党は調子に乗っている。怒りはあるが、福島の被災者は疲れ果てている。

 

▼集団疎開裁判

 昨年の12月17日に高裁へ集団疎開の意見書を出したが却下された。

 甲状腺検査で子どもの喉頭ガンが増えている。18万人被検者のうち18人が喉頭ガン、疑いが25人。一般的には百万人に一人。明らかに多いガンの発症率になっている。

 政府の対策は、除染、プール・遊び場(制限解除)、屋内遊び場の設置(市内4ヶ所)。除染費用だけが増えている(2012年330億円→2013年518億円)。

 放射能は目に見えない。知らない人は、大丈夫と信じ込んでいる。子育て世代の参加が少なく、危険性を伝えていけない。政府は、5年経てばあきらめる、ウヤムヤにできると考えている。

 

▼福島のおんなたち

 除染での洗浄水は高圧で流され、放射性物質が飛散する。それらは金ブラシやサンドバーストで削るしかない。国の総合的施策を求めるために、諸運動の結びつきが必要になっている。避難、除染、学校、労働…
 放射線被害が出てくるのは5年後くらい。政府・東電は5年経てばあきらめると思っているが、そこから問題がハッキリしてくる。

 被爆者管理手帳や被災者支援法、こども被災地支援法などを、整備していかないと、5年後には、政府は放射能の影響かどうか分からないと言 うだろう。

  ひと通りの説明の後、質疑応答。(○は質問者、▼は会場からの答え)

○草花や動物への影響は出ていますか?

▼牛に白い斑点が出ている。草花は大きくなり、ネズミの足がオカシイ。猫はいなくなり、ウサギに耳や尻尾のないものがいる。(富岡町浪江町

▼低線量被曝は遺伝子を傷つける。健康被害はこれから増えていく。見えない障害もある。

放射能被害は時間が立たないと分からない。でも分かるまで、待っていられない。あきらめられない。

▼今のことを見て欲しい。先のことを考えられる状況にはない。とにかく今、生きられない!

▼これからの人生をどうしてくれる。軽線量地域からせめて除染を!

▼除染はダメ。被ばく労働者を増やす、除染後の仮置き場がない。線量の高い地域全てを帰還困難地域にして中間貯蔵施設にする等、政   府の責任ある施策を求めることが必要。


 どうして行くか、会場で議論が起こります。私たちには、消化しきれないことだらけでした。被災地には復興はまったく届いていない。それどころか放射能被害は、現在進行形で進んでいる。こうして話している中で、知り合いから「死にたい」という電話を受けたという話も聞きました。

 無関心や沈黙が、福島の人々にこんなにも苦しみを強いています。少しでも現状を知り、どこに解決の道があるのか、ともに考えていくことが、とても大事だなぁと改めて考えさせられました。



 

■郡山から富岡町に■


 郡山の東横インに泊まり、翌朝、マイクロバスに乗せてもらい、磐越自動車道を通って被災地へと向かいます。富岡町大熊町に住んでいた被災女性2名も案内に同行してくださいました。被災地を進むにつれ、東北の田舎風景が少しずつ異様なものに変化していきました。


 6号線を北上し立ち入り規制ゲートをめざしますが、通行規制をしていました。バスの中ではかる線量計が、グングン数値を上げていきます。危険値を超えると警報音がなるのですが、ズッと鳴り続けています。バスの中で上がるんだから、外はどんなにあがっていることか。

 町並みが、人のいない廃墟へと変わっていきます。富岡駅に続く道は、以前は活気があったようですが、今は津波の後そのままに、商店らしい家は前の部分がさらわれて空洞のよう。人の気配はなく、コンクリートがひび割れて、雑草が生えています。

 お昼ごろに着いたのが、富岡町の役場連絡所です。ここでは防護装備一式を貸してくれます。


 一式のビニール袋の中には、「放射性物質拡散防止の観点から、使用した防護設備については、必ず中継基地に立ち寄って処分してください」という但し書きが入っています。原発事故はまったく終わってはいない、ということが被災地に立てばハッキリと感じられます。

 富岡駅は、すでに廃線となっています。津波で打ち上げられた自動車が線路上に放置されたまま、それを背よりも高い雑草が覆っています。

 駅で説明を受けましたが、防護服が足りず、被災地の方々が平服で説明という申し訳ない事態になってしまいました。


 他にも見学者が来ていましたが、役場での管理も知らないかのように、若い人がマスクもしていません。これほどに情報は行き渡らず、放射能汚染の怖さが知られていないのです。


富岡町から楢葉町に■


 次は、さらに第一原発近くに向かいます。

 廃屋になった家々が、さらに目立つようになってきました。

 広野町では、畑や田んぼはまだ休耕田の体をなしていましたが、富岡町深くにに入るとセイタカアワダチ草がびっしり茂った荒地が延々と続きます。廃校になった学校の校庭には、黒いセイタカアワダチ草が生えています。道路には時々、黄色い「立ち入り禁止区域」の看板、白や赤の道路止めのテープ。


 同乗した大熊町の女性は、「こんなとこに帰れるわけがない。うちの家には、もうハクビシンが住みついている」と政府への怒りを口にします。

  そうして着いたのが、富岡町に住んでいた女性の家。裏は立ち入り禁止区域です。

 「ここが帰還準備区域なんだって。立ち入り禁止区域から数十メートルしか離れとらん。裏には林があるし、木は除染されないから、放射線なんか雨が降ればいくらでも落ちてくる。どうやって住むんだ」という怒りに納得しながら、久しぶりという彼女のうちを見に行かせてもらいました。

 確かに、横から20mほど奥に行くと、立ち入り禁止区域の看板と車止めがある。横はこんもりと木が茂った小さな小山になった神社です。線量計を地面に近づけて測ると、なんと15.50マイクロシーベルトを指しています。



 立ち入り禁止区域の中で、牛が何匹もゆっくりと歩いていました。ガリガリに痩せ、耳には識別表をつけています。聞けば、元の飼い主が数日に一度、食べ物を運んできているよう。子牛もいました。立ち入り禁止区域で暮らす牛たちは、実験材料になっているんでしょうか。

 一帯周辺は、原発20Km圏内と一時帰還地域が隣接している場所です。立入禁止の看板の、すぐ横や向かい側に、帰還地域と言われる場所が広がっています。線量が高く、商店もコミュニティも、農業や商業なども無くなっているところに、どうして帰還できるのでしょうか。



 少しでも賠償額を安くあげたい、あれだけの被害・汚染をもたらした原発を、住民たちを犠牲にして、大丈夫・安全だと言いくるめたい。そんな政府や東電のために、被災地住民は、計り知れない不安や困難、そして住民どおしの分断に苦しめられていました。

 告訴しても、このような事態は裁かれることもなく、マスコミも報道せず、被災地現地に封じ込められていたのです。

 このような現地を目のあたりにしながら、楢葉の第二原発前を横目にJV事務所と宿舎のある天神岬に向かいました。

  役場庁舎などでは、除染作業が進められていました。除染作業員の仮設住宅や、除染ゴミを堆積しておく仮保管場所などが、人の気配のない街のアチコチにあります。

 広くて景色もよく、昔はたくさんの家族連れでにぎわったであろう天神岬の公園跡。遊具はサビつき、高台から見える風景は、除染ゴミの山だけが見える荒涼としたものでした。

 除染は放射性物質を右から左に移すだけ。燃やせば空気中に拡散する。労働者は被曝し続ける。そして終息していない事故原発からは、空気へ地中へ海へ、放射能が放出され続けている。

 政府・東電や御用機関は、こんなサイクルの中に、福島の人々を閉じ込めようとしているのです。

下の写真、高台に見える白い塊、グランドを埋め尽くす黒いゴミ袋、これらが除染の汚染土ゴミです。




いわき市内の仮設住宅内の会館での集会■


 もう薄暗くなった頃、最後に、いわき中央台仮設集会場の学習会に参加しました。


 周辺には、各市町村ごとの仮設住宅群が並んでいます。倉庫のようなプレハブの仮設住宅から、温かみのある木で作られた仮設住宅まで、各市町村の住民政策をあらわすように建てられていました。 

 集会場には、被災者復興・支援などのNPOや除染・原発労働争議を担う労働組合が集まっていました。全労協女性委員会のスタディツァー以外に、東京からバス2台連ねて交流団が来ています。

  主催は、愛称・みんぷく(=より良い福島を築くために、支援をする人も支援を必要とする人も共に集い、知恵を出し合うことが最も重要と考え、3・11被災者を支援するいわき連絡協議会を設立)。


 残念なことに時間がなく、まとまった話を聞くことはできなかったのですが、ここに、全国一般全国協議会いわき自由労組の皆さんが、被ばく労働問題の報告と支援要請に来てられました。

 専従スタッフもいなければ、事務所は先日の台風で雨漏り、トイレもない状態で活動中、とのことでした。

 支援カンパあて先は

 (店番号)149(会員・枝番号)90100-000
 (口座番号)6328095
  いわき自由労組

 福島の女たちの皆さんからは、2014年カレンダーを頼まれました。

 皆さん、機会があったら、ぜひ今の福島を訪れ、政府の原発政策・原発事故処理政策を捉え直してください。

 百聞は一見にしかず、それから考えていきましょう。

  送り出してくださった大阪全労協の皆さん、ツァー準備と案内をしてくださった福島連帯ユニオンの皆さん、一緒に交流合宿に参加した全労協女性委員会の皆さん、ありがとうございました。

 
自立労連大阪分会・但馬けいこ


(大阪)